猫にもなれば虎にもなる。

院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

【Autumn】 A CAT IS AN ART!

 皆様、名実ともに秋ですね!いかがお過ごしでしょうか。今回は、わたくしが大好きな猫企画🐈です!!!

 猫×秋ということで、「猫は芸術だ!!!」と思いつきました。はい、思い付きと勢いの企画ですが、ちょっとだけ新しい形式に挑戦しています。少しでも猫のことが好きになっていただければ…。さっそく、やっていきましょう。

 

 

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猫自体が芸術だ!

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 猫は、古来から人間に愛され、時には神に近い存在として崇められていました。特にエジプトでは、猫が神だったり神に近い存在だったりもして、猫にエサをあげるための神官がいたということもあります。また、バステトという猫の女神も存在しています。そのため、ブロンズ像や木像、果ては猫のミイラまでも発見されています。

 ちなみに、日本の猫は仏教の経典を輸入する際にネズミが経典を食べないようにと船にのせられてやってきたのがはじまりだといいます。その後は、貴族たちに愛されたらしいのですが、猫なので脱走することも多く、庶民も飼うようになったそうな…。このような歴史を見ると古来から猫は我々人間をその魅力で虜にしてきた様子が伝わってくるようです。

 

 さて、猫はその姿自体が魅力的ということ堪能できる本があるので紹介しておきます。上のスライドにもあるように『世界で一番美しい猫の図鑑』です。品種ごとに紹介がされ説明文も充実していますが、さまざまな表情の猫をみることができおすすめです。

 

 また、次に見ていくように世界中の芸術家も猫も愛しました。

 

 

数々の名画に描かれた猫

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 上記の錚々たる芸術家たちが、猫を愛し描きました。上のスライドでは、ルノワールが描いた『猫と婦人』を例として挙げておきました。女性と猫の組み合わせも実は多く、ピカソは愛人と黒猫を一緒に描いちゃってます。また、ピカソは猫とともに映る写真が残るほどの猫好きとして知られています。

 画風が違う画家たちが猫好きで共通しているのも面白いと思います。キュビズムの巨匠・ピカソポップアートの巨匠・ウォーフォールがそろって猫を描き愛しているという事実に猫の芸術的魅力を感じざるを得ません。また、上には書かれていませんが、ダリも猫好きで知られています。

 

 

歌川国芳と猫

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 日本でももちろん猫を愛した芸術家がいます。歌川国芳です。国芳は非常に変った浮世絵師で、幕末に活躍しました。その個性的な絵のなかで非常に多く描かれたのが「猫」です。上記のスライドの左側『其のまま地口 猫飼好五十三疋』は東海道の53の宿場を猫による語呂合わせで描いたものです。一匹一匹が丁寧に描かれていることからも国芳がいかに猫の姿をよく見て描いたかがわかる作品です。

 

 右側は、猫で文字を書くシリーズのひとつ『なまづ』(旧仮名遣い:なま川")です。猫の軟体性を生かしたトリックアートは見ていて楽しくなります。また、これ以外にも猫が擬人化された作品など『ねこと国芳』という一冊の本ができるほど描かれています。ちなみにスライドにある本は持っていますが、猫好きさんにはおすすめできる一冊です。

 

 

もっと見たい人へ

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 猫の芸術作品をもっと見たいという方へおすすめの本は『猫まみれ』という本です。絵や像など様々な形体の作品が古今東西問わず紹介されています。 

猫まみれ―招き猫亭コレクション

猫まみれ―招き猫亭コレクション

  • 発売日: 2011/11/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

身近なCAT'S ART

 ここでは、現代日本で身近にみられる猫のアート作品を紹介します。

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 一人目はヒグチユウコさんです。彼女の作品は非常に緻密で、世界観(ストーリー)がシュールになっています。完全に大人向けの絵本が多いです。リアルでありながら少しかわいらしく装飾された猫たちを堪能できます。特におすすめは、『ギュスターヴくん』です。

 

【参考:過去記事】

caaatteey-0815.hatenablog.com

 

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 二人目(二組目?)は、兄妹共作で『俺、つしま』シリーズを作っているおぷうのきょうだいさんです。リアルな絵×リアルなストーリーが猫視点から語られているのは、猫まんがのなかでも有数の芸術性を感じさせます。

 

caaatteey-0815.hatenablog.com

 

【King & Prince】記憶は褪せるからこそ美しい~儚さの美学「Glass Flower」

 

 アイドルは「儚い」存在なのかもしれません。昭和期には、それぞれの記憶に深く残るように太く短く活動し解散していく「青春」のような存在でしたし、現在、長く活動するアイドルも「いつ辞めてもおかしくない」という「儚さ」を孕んでいるような気がします。

 

 

 「儚さ」-「アイドル」の紐帯をこれ以上なく美しく歌い上げているのではないかと思う珠玉のバラードがあります。King & Princeの「Glass Flower」です。この曲では、「記憶」が「花」と結びつけられ、「儚いからこそ美しい」しかしだからこそ「切ない」という命題を聞き手につきつけます。今回はこの曲についてみていきましょう。

 

――――――――――――――――――

 

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失われた「あなた」と輪廻観

 この曲は「失恋」の曲なのだろう。冒頭だけでもそれははっきりしている。

 

 

花が咲いたよ ふたり育てるはずの 夢は眠ったよ

 不思議なくらい 違和感もない

 乾いた喉は あなたをもう呼ばない

 

  

 「ふたり育てるはず」の花はひとりいる主人公の目の前にあり、「あなたをもう呼ばない」はダメ押しの表現だ。いるはずの「あなた」は失われていて、「花」・「夢」というやや幻想的なワードは「あなた」が主人公にとって「特別な人」(もっといえば「恋人」)だと示唆する。

 

 この曲の秀逸な点のひとつは、はっきりと書かれてはいないが、その「あなた」に「死」のイメージがまとわりついていることだ。「Glass Flower」は、別名をボトルフラワーのことを指すと思われる。生花をシリカゲルで急速に乾燥させ、その生きていた時の色を鮮明に残し、それをガラス(ボトル)に閉じ込めたものである。“すでに死んでいるのに、鮮明で生きているように見える”人工美の象徴であり、「死」のにおいを持つ。だから歌詞は以下のように紡がれる。

 

 

 加工されたGlass Flower

 二度と褪せないけど

 生まれ変わる事を拒んで

 時を止めてる

 Bright 正しい終わり方を

 誰も知らない

 

 

 

 死んだものは、「生まれ変わる」という「輪廻転生」観*1。表記に漢字が積極的に使われていること(事、拒んで、方、この後の歌詞でいえば「言う」という表記など…)からも、東洋的な死生観が浮かび上がってくる。本来なら、死という区切りをへて、転生するはずの“自然な時の流れ”を不自然に止めて、「褪せない」姿で存在している。「Glass Flower」には霊的な性質が灯る。続く歌詞を見ていこう。

 

 

もう二度と思い出さないよ

咲くよりも散るよりも

綺麗に枯れていきたい

あなたはきっと言うから

まだきっと またずっと

不自然に飾られるように

まだきっと またずっと

あなたを想うくらいなら

 

 

 「Glass Flower」に仮託されているのは、「あなたの記憶」であることがわかる。「思い出す」と、「あなたの記憶」は「そのまま」「あるがまま」を失って、「咲く」(=美化される)のか、「散る」(=必要のない部分は消えていく)のかしてしまう。それを避けて、「あなた」が望むようにその記憶があるがままにするためには、「思い出さない」という消極的なたった一つの選択肢しかない。「あなたの記憶」は非常に「儚い」。「あなたを想う」ことが、「あなた」を「不自然に飾」ってしまうのは、「あなた」がいま・ここではなく過去の存在である限り避けようがないのだから。

 

 

 

 

思い出補正と「Glass Flower」

 確かに過去の記憶は、「思い出す」という作業によって、美化されたり醜くゆがんだりすることがある。自分で意識していなくても、現実と再現された記憶にズレが生じてしまうことは、おそらく間違いのない事実だろう。心理学的用語でいうと、「記憶の変容」というらしい。

 

 

私たちはなにかを思い出す端から、その中身を忘れてしまうことはありません。それは、私たちが思い出すのと同時に、改めてその中身を記憶しなおしているからなのです。このとき、最初にその出来事を覚えたときには知らなかった、新しい情報を持っていることがあります。この新しい情報が、出来事の解釈にかかわる内容のとき、私たちは出来事の再評価を実際に行い、記憶を修正していくのです。

 ――石黒格「記憶は変化するものである」*2

 

 

 

 「記憶」は「再生」されるとき「記憶」しなおされる。だからこそ、もとのありのままの「記憶」は、思い出されるたびにすこしずつ変容していく。「鮮明」に記憶を残そうとすると「記憶」は変容してしまうという逆説と切なさ。そのため、『Glass Flower』は「思い出さない」ようにするが、それもまた非常に抑圧的で苦しい。二番のサビはまさにそのことを綴っていく。

 

 

 

もう一度忘れてしまおうと

 咲かしても散らしても

 欠片も愛おしいままで

 どこまでも透き通る

 まだきっと またずっと

 不器用に目を塞ぐのは

 まだきっと またずっと

 あの日を想っているから

 

 

 

 結局「思い出さない」ようにしても「思いだしてしまう」。想いが強く愛おしければ愛おしいほどだろう。結局、ふたをしようとしても「どうにもならない」から、“ありのままの記憶”は、美化されていって人工的な美をおびる(その象徴が「Glass Flower」だ)か、記憶を思い出す頻度とともにフェードアウトさせていくのか…。

 

 

 

 

 

「綺麗に枯れていきたい」と「儚さ」の美学

 その答えは、〔bridge〕の歌詞にある。

 

 

着色されて永遠を手にする

 美しい悲しみはいらない

 乾いて褪せて朽ちて行け

 あるがままの記憶

 

 

 「記憶」は、刹那的なものとして変化していくのが「美しい」。それに反し、繰り返し作り出される加工された「良い記憶」は美しいがあまりにも「悲しい」。

刹那的で諸行無常な儚い「記憶」>人工的で作られた鮮明な「記憶」。

 少しずつ生け花のごとく「乾いて褪せて朽ちて」いくことこそ、「あなた」のいう「綺麗に枯れていきたい」という希望なのだから。

 

 ここでは、ふたたび東洋的な美学の片鱗がみえてくる。今道友信は、日本の美学の趣について村田珠光(茶道の始祖とされる)に触れ、以下のように述べている。

 

 蘭け幽む、枯れる、冷える、やせるなどという能の世阿弥、禅竹、連歌の心敬と共通しうる美的範疇にかなう風情を実現しようとした修行である。

  ――今道友信編『美学』(東京大学出版会1984年、P283)

 

 

 「蘭け幽む、枯れる、冷える、やせる」は、いずれも朽ちていくことをいとわない「変化」へ美しさを見出した言葉である。「あなた」ないし「あなたの記憶」を「Glass Flower」のように見た目に美しいまま閉じ込めておくのは、一見にしてまさに美しいかもしれないが、それはいま・ここにいない幽霊として開放しない残酷な「美しさ」なのだろう。まさに、東洋的な諸行無常を受け入れることの「美学」が擦り切れるような痛みを伴ってうたわれている。変化を受け入れるからこそ、「儚い」今の「あなた」や「あなたの記憶」が「美しい」のだ。「儚さ」の美学。

 

 

 「アイドル」という今・ここが刹那的に通りすぎ、変わっていくことの「儚さ」を持つ彼らとこの曲の親和性は非常に高い。だからこそ、普段は存分に輝く彼らに投影された少しの影が「儚く」「美しく」「切ない」のだろう。2019年のコンサートでの演出と彼らの表情はこの曲の世界観を強く再現していた。

 

 

 

 

 

 

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《おまけ小噺》

 また、この曲を聞いていた時に、思い浮かんだのは今大河ドラマでも話題の明智光秀の娘・細川ガラシャの辞世の句だ。

 

 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

 

 

 「花は散るべきときを知っているからこそ、美しい。私もそのような人でありたい。」という意味である。ガラシャは数奇な運命をたどった人で、父・光秀の謀反により嫁ぎ先の細川家にいられなくなり、一時幽閉状態で夫や子供とも会うことが叶わなくなったうえ、ようやく細川家に戻ったときには夫にはいままでいなかった側室がいるという悲劇に見舞われた。そこで、心の平安のためにと侍女の勧めによって洗礼を受け、キリスト教徒となったが、結局それによって苦しい立場になってしまう。

 彼女が亡くなったのは、石田三成徳川家康の対立のなか、石田が人質をとることで各所の大名を味方につけようとしていたときのこと。細川家は徳川方につくため人質になったら自刃しろという方針になった。ガラシャは信教(キリスト教は自殺禁止)と家の方針の間で悩み最後には夫の部下に自らを殺させるという方法で人生に幕を下ろした。

 

 抑圧されながら、自分の人生を終わり時があるからこそ「美しい」と詠んだ彼女。それを花に仮託した発想は、この曲の「儚さ」の美学少し違うだろうがと通底しているのではないだろうか。

 

 

 

*1:

*2:

浅野いにお『世界の終りと夜明け前』の「リアル」

 浅野いにおの作品における「リアル」さについて、彼の短編集『世界の終わりと夜明け前』を題材にその細部/大観という二つの視点から分析していく。

 

 

 

【以下、ネタバレ微注意】

 

 

喚起を促す細部(リアル=感覚の喚起性)

 まずは、細部に注目し浅野作品『世界の終りと夜明け前』におけるリアルを探っていこうと思う。浅野作品の細部に宿るリアルは、二次元からより作品を三次元に「感覚をよび起させるもの」=「感覚の喚起性」である。喚起性を伴う細部の主たるものは、以下の4点だ。

 

  • 景色
  • 固有の事件、事象等の挿入
  • 同一性の担保
  • 表情

 

 下記ではこの4点のうち、上の二つを例として感覚を喚起するリアルについて分析する。一つ目は、景色である。浅野の作品では景色が見開きや1ページをまるまる使って景色が挿入されたり、人物を引きでとらえた(映画でいうところのフルショット~ロングショット)とき人物よりもはるかに大きな面積を使って描かれたりすることがある。

 

 例えば、「夜明け前」ではラスト近く、出産の話の直後に挿入される1ページの景色はページ左上からさしこんだ光がビルを照らし始めているビル街を映画いたものである。これは、具体的にどこの景色なのかそれはわからなかったが、その平凡で美しい景色は夜明けの空気のにおいや光の淡さを喚起させる。

 

 同じように、「日曜、午後、六時半。」で2、3ページの見開きの景色も画面の奥からさしこむ光にまちが照らされ始めているような感覚が景色は、写真を取り込んできたのではないかとはっきりわかるほどの画像であり、右手前にいるこの漫画の父親が浮いて見えるほどだが、やはり個別性よりも抽象性がまさり、家が山間部に囲まれている点から田舎の静かな、しかしものさみしい雰囲気が、細部を見れば見るほど喚起されていく。このようにある種の抽象性から読者の記憶の中の感覚を喚起するのである。このように、2次元にあるはずの景色はその細部の細かさと全体の抽象性から3次元の視覚や視覚以外の五感で感じられる感覚が喚起され、その喚起されるときの感覚こそリアルといえるだろう。

 

 

 また、景色が物語を喚起することもある。アルファルファ」では、冒頭少女たちが歩く後ろにある田んぼの平らかさ、縦に伸びるのが、鉄塔や奥にそびえる山しかないという景色とその直後にナレーション「僕の村には高速道路が走っている」の後ろにある高速道路の下に広がる田んぼ、高速道路よりも高い建物のない平らかに伸びていくだけの景色が、この主人公の住む場所の上を通り過ぎられていくだけの存在であることを喚起させ、その後の自由を求めラストでは出奔するヒロイン「大沢」の像を担保していく。マンガでの次元のリアルを支えているといえるだろう。

 

 景色は、その抽象性から様々なものの喚起を促し、リアルへとつながっていた。一方、具体性の挿入によって様々なものを喚起されるということもある。それが、固有の事件、事象等の挿入である。

 例えば、「日曜、午後、六時半。」の「③帰宅」での裏切り続けられた人生だという父親の回想の中の一コマが挙げられる。そのコマまでに家族・社会・会社に裏切られてきたことがわかるが、最後に会社の仲間と何かを見上げるコマがあり、ページをめくると約半ページのコマで父親の後頭部の奥に煙を上げるビルと奥のビルに追突せんとする飛行機が描かれている。その光景は、多くの人がその行く末を生中継で見たであろうアメリ同時多発テロの一幕、アメリカ経済・資本主義の象徴だったワールド・トレード・センタービルに飛行機が追突したシーンであることが明白である。その時のナレーションは「世界に裏切られ―――」は、当時”世界の警察”を自称し、名実ともに世界のトップにいたアメリカ本土や世界の経済を牛耳りつつあった資本主義の象徴のビルが崩れていく姿にリアルに感じられた感情のひとつだろう。そのため、ここでは固有の事件等=具体性の挿入によってその感覚を二次元を超えて喚起しているという点でリアルなのである。

 また、このほかにも「休日の過ごし方」では「吉祥寺駅」という固有の駅名が登場し、同じようなリアルが発生している。

 

 以上のように、浅野の作品はマンガという主に二次元から三次元に「感覚をよび起させる」=「感覚の喚起」をおこなうものであった。この喚起性こそがリアルでありリアルをよび起しているといえる。しかし、これだけではなく、浅野のマンガは、物理的な世界と感覚的な世界が遊離(マンガという媒体における表現の非現実性と、そこから知覚される現実性の乖離)をも告発している。それは、私たちの誰もが主体性をもつ(ニュートラルな存在であることができない)限り、感じる遊離であるため、これもリアルな感覚だといえるだろう。このことについて、次項にて分析する。

 

 

全体:特別な“区切り”を否定、物理/感覚の乖離の告発

 浅野の作品では、世界(あるいは人生が)が本質的には更新されるだけで“区切り”など持たないことを示すように*1おあつらえ向きの決定的な区切り*2が極端に大きく扱われず、時には排除される。これは先述の短編集に収録される「夜明け前」に象徴的にあらわれている。まず、その最初のページを見ていく。

 

 「夜明け前」は、時計のアップのコマから始まる。電子の時計が示すのは「11:59」59秒。直後にビル街の夜景の遠景ショットのコマが次に挿入されると、先ほどの時計のアップが二つ続き、表示はそれぞれ「00:00」01秒、「00:00」02秒である。

  ここまでみると時計の表示が「00:00」00秒が夜景ショットに変換されているだけで、(時計が徐々に時間の表示に向かってアップとなり、画面に若干の緊張感があるにもかかわらず)この1ページではただ時間が(1秒ごとという大抵の時計という装置で可視化できる最小の単位で)更新されているだけであることがわかる。また、このとき11:59から00:00へ日にちがまたがっていることに注目し、これは年がまたがるときの(人々の気分が高揚するような特別な)“区切り”を表していたのではないかとも考えられるが、そのような特別な“区切り”ではない。時計のアップの下部には日にちの表示が半分ほど見えており、その表示が「1/24」と「1/25」であることが読み取れるからである。ここでは、物理的な時間の更新が淡々と示されているだけで、特別な“区切り”が避けられていることがわかる。*3

 

  以上のような導入から、「AM00:45」から「AM6:45」まで、時刻が示された後に10個の物語が描かれていく。この先頭の「AM00:45」で知り合いのカップルの喧嘩の仲裁に駆り出された会社員の男と、3つ目の「AM2:26」で女子中学生の自殺ライヴを見ていた(ベストセラー)作家の男、その配信された動画に映っていた女子中学生が後半に再び登場する。女子中学生は、ナレーションのことば=作家の男によるネット上への書き込み によって自殺を思いとどまったようで、「AM6:45」では自殺という非日常的な行為とは真逆のゴミだしに出かけようとする場面が描かれる。

  彼女は胸元から映され(このときパジャマの柄で女子中学生が「リアル」な形で読者に喚起される)、その直後その上半身の背後の右側のみが映るがこのとき目の前には先頭の話で出てきた会社員の男が立っている(次ページの冒頭のコマを見るとアパートなのかマンションなのかの隣同士であったことがわかる)。唯一ここが10個の物語の登場人物が直接出会う場面となっているが、ここで女子中学生が出会った相手が自分を励ました作家の男ではないところにこの瞬間がある種の奇跡の瞬間(≒特別な“区切り”)を避けている態度がわかる。*4

 

  このような特別な“区切り”が避けられているのは、同作者の『おやすみプンプン』でも同様だ。『おやすみプンプン』ではその後半に主人公の「プンプン」とヒロインの「木村愛子」が愛子の母親を殺害するという決定的な出来事が起こる。二人は逃避行で鹿児島へと向かっていくが、テレビで警察の捜査のほどが少し伝えられているだけで刑事が登場して追う/追われるというサスペンスは避けられる。

 「プンプン」は殺人未遂または、暴行・傷害罪など実際に犯罪をしているが、そこが深く扱われることがない。愛子が自殺したのち、入院した「プンプン」のもとに警察が来るが、横になる「プンプン」からの視点で仰角から捜査員が二人とらえられた後、名前を問われるがプンプンの口のアップと吹き出しの「僕の名前は……」というところで終わっていて、その結果「プンプン」がなんらかの罪を負ったことも描かれず、尋問に対する反応も涙をながす「南条幸」が描かれるだけであり、ラストまで「プンプン」の日常が続いていく。このように、決定的な出来事が起こってもそれが特別な“区切り”とならないのである。

 

 このように、特別な“区切り”の否定は、“何があっても人生はすすみ、世界(地球)は規則的に回る”というような感覚に根差している。これは、人間が自分の主体性のフィルターを人が気分によって時間に関する感覚が物理的には同じ長さでも全く変化したり、だまし絵に代表されるように物理的なものを正しく知覚できなかったりという感覚というようなもので、大きく言うと、この感覚は物理的なものと感覚的なものが乖離していること根本的なリアルに接近している。さらにそれは、マンガの読者のリアルでもあるのだ。マンガの読み手は、物理的には人間とは違う二次元のものを人間と知覚しているからだ。

 

 

 

 

*1: 仏教の無常観や「万物は流転する」とした古代ギリシャの哲学者・ヘラクレイトスなどに見られる考え方である。

*2:例えば、結婚や「運命の人」との交際、出会い、死、犯罪、事故のように一般的に人の人生に大きな影響を与えると思われるもの。

*3:同じような導入に同短編集「17」がある。

*4:同じような構成では『21グラム』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督、米、2003年)という映画がある。しかし、この映画も特別な“区切り”をもち、物語は収斂していく。具体的に言うと、はじめばらばらに見えた3人の人物やパズルのピースのように散らばった時系列の映像群が「事故」と「復讐」という特別な“区切り”によって収斂していく。

【もう一つのブログ】『tame lab!!!』の活動報告【ドラマ・映画など映像作品専門ブログ】

 

 『tame lab!!!』とは、ついこの間開設したドラマ・映画など映像作品専門ブログです!はじめはこちらの記事の中でドラマや映画の記事を引っ越しているだけでしたが、今ではこちらにもオリジナル記事を書いておりますので、活動報告をさせていただきます🐈

 

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★【㊗銀獅子賞】黒沢清監督~『LOFT』、不整合(あるいは、運命的整合)と悪【緊急投稿】

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 個人的な話ですが、私が映画や映像の力に気が付いたのは、黒沢清監督の『CURE』の影響でした。本稿は卒業論文の一部を改変して書いたものです。多少堅苦しいかもしれませんが、映画が好きな方はぜひ。

 

 

 

★【中島健人×平野紫耀】『未満警察 ミッドナイトランナー』にみる日テレ系刑事ドラマの伝統と矜持

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 こちらは最近のドラマから。『未満警察 ミッドナイトランナー』は昭和の刑事ドラマが好きな方なら魅了される作品であろうと思い魅力分析しました。刑事ドラマ好きな方(特に昭和の刑事ドラマ)の好きな方はぜひぜひ!!!

 

 

★【東海オンエア】「情報量の多すぎる動画」×「不思議なメガネ...............」、ネット文化への自己言及性とブラックジョーク

blog.livedoor.jp

 こちらのもとの記事は、このブログに書いた記事ですが、そこから大幅にアップグレードされているので紹介します。東海オンエアは「映像作品」として優れたものを作り出されるクリエーター集団だなと感じた作品を二つ分析しています。

 

 

 

★【円谷プロ×岸田森】子供向けとは思えない社会性/キャッチーな恐怖映像~『怪奇大作戦』第三話「白い顔」

blog.livedoor.jp

 皆様は、円谷プロの作品の中でも異色の作品『怪奇大作戦』を知っていらっしゃるでしょうか…。とても子供向けとはおもえないシュールで「怖い」名作です。今回は第3話「白い顔」を取り上げて、『怪奇―』の魅力を分析しています。

 

 

 

★【杉下右京×亀山薫】『相棒2』のイカ回は映像で見せる本格的ミステリー【「殺人晩餐会」】

blog.livedoor.jp

 『相棒』シリーズの中でもネタ回としても有名な「イカの回」こと2‐3「殺人晩餐会」。この作品は映像ミステリーとして素晴らしいものです。脚本担当が、「ボーダーライン」の櫻井武晴さんなのも面白いです。

 

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★おまけ

chopi_maru RADIO - YouTubeの方も、ゆるゆるですが、頑張ってやっています!!!

作業用BGMとしてぜひお聞きください…🐈🐈

 

Vol.2 【猫同居人が】猫ちゃんと仲良くなるコツを教えます【途中うちの猫乱入】

www.youtube.com

 

Vol.3 【King&Prince】気になる新アルバム『L&』全曲レビュー【月1エンタメ研究ラジオ#1】

www.youtube.com

 

 

 そして、こちらのブログのアイディアもいくつかふつふつ湧いてきてます!!!

ブログを分けたことでより見やすさを心掛けますのでこれからもよろしくです🐈

 

 

【Our Flower Book】#2020.9

【Our Flower Book】は、“私たちの花図鑑”という意味を込めて、私と(主に母が)大切に育てている植物を月ごとに紹介していこうというコーナーです!

 北国の残暑厳しい初秋よりお送りいたします…。

 

《前回はこちら!!》

 

caaatteey-0815.hatenablog.com

 

 

 

NO.1 松葉牡丹(Portulaca grandiflora

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スベリヒユ科

一年草

・雪国越冬不可

・開花:6月下旬~10月

花言葉:可憐、可愛さ

 

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 今年の猛暑の北の大地で、気温が乱高下するなかでも健気にそして美しく咲いていた数少ない精鋭です。松葉牡丹は、祖母が好きで何度もさまざまな種類(色、八重かどうか)を育てたことがある見慣れた花であり、どれも素朴で美しいのですが、今年のこの子はオレンジと赤の中間のような色に花は透き通るような透明感のある花質を持っていて、特に惹きこまれる子です。

 

 

 

NO.2 コリウスPlectranthus (Solenstemon) scutellarioides

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・シソ科

一年草

・雪国越冬不可

・葉の鑑賞:5月~11月ごろまで

花言葉:絶望の恋

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 葉の鑑賞に適し、冬季以外はその存在が見ている側を楽しませてくれる存在。うちでは、毎年さまざまな種類のコリウスを寄せ植えしていますが、コリウスの種類自体も増えているような気がします。えっ、先月も見たって⁉今年は、ひどい気候で9月に入ると元気のない子が多いんですよ…。許してください💦

 ちなみに、うちではコリウスは秋まで半日陰においています。経験則上、早くからひなたに置くと花をつけてしまって、それによってコリウスたちが体力を使い切り、秋のいい時期にしぼんでしまうからです。なので、先月ではなく今月紹介するべき花でした…。反省、反省。

 

 

 

NO.3 キク(Chrysanthemum

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・キク科

多年草

・雪国越冬可

・開花:9月~11月

花言葉:高貴、清浄

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 地植えされていて何年も毎年美しく咲いているキクを最後に紹介します。うちのキクは、少し大きなマーガレットのような感じですこしめずらしいもあるようです。仏前にもいい花として知られていますが、近所の方にお彼岸の時期にお送りすることもあり、キクという花は、人と人とを繋げてくれる存在でもあるんだなと感じさせてくれます。

 

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九月号はこのような感じですが、いかがでしょうか。

気候変動のため、あまり元気のない花たちをみると心が苦しいですが、これから元気になると信じてお世話頑張ろうとおもいます!

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『猫丈記』~その七.「まるくん二歳の誕生日と感慨」

 

 はやくてもうまるくんは、二歳になった。つい最近まで3か月じゃなかったっけ。あっという間の出来事だ。猫と暮らす方は、その子の誕生日や一緒に暮らし始めた記念日をどうすごしているのだろう。

 

 まるくんが一歳になったとき、うちは大騒ぎだった。いつもより高級なおもちゃを買い、彼の大好きなおやつも準備し、まるくん写真を使ってミニクッションをつくり、家族5人分まるくんTシャツも作った。猫にとって一歳は成人式も兼ねていてだからこそ、人間側一同は大喜び大奮発だった。

 

 ミニクッションもTシャツも我が家の宝になったが、まるくんはというとおやつの食べ過ぎでおなかをちょっとこわしてしまったうえ、おもちゃに対しても「ふーん」っていう感じの塩対応だった。おなかを壊させてしまったのも、いまいち彼の好みのものを用意できなかったのも完全に我々サイドのミスであり、反省。それが、去年のことである。

 

 

 そうして迎えた二歳のまるくん誕生日。今年は、いつも食べているフードのびちゃびちゃバージョンを用意した(これならフードが変わりすぎずにストレスにならないはず!)。おもちゃは、いっぱいあるのであえて買わず、代わりに遊びたがっているときはなにをおいてもまるくんと遊ぶのを優先した。地味だけど、甘やかし作戦。どうでるのか。

 

 結果から言えば、今年は大成功だった。誕生日、まるくんは機嫌◎だったし、おなかも壊さなかった。なんなら、獣医師さんから言明されていたダイエットにも成功した。まるくんは、自分の息子のようと思うことが多かったが、実は結構大人でシックな誕生日が好みのようだ。

 

 それだけではない。二歳になってからの彼は、家族をよく見て自分の欲望だけを通そうとすることは減った。ちょっとへこんでいる人がいると横にちょこんと座り、暇そうな人がいると遊ぶようにねだるようになった。怒られそうになると現場から立ち去るスピードと「僕何も知りません」という顔も上手になった。二歳は派手ではなかったけど、ものすごく感慨のある誕生日だった。本当は一歳のときもそれでよかったのかもしれないね。君のパートナーとしてもっと成長しなきゃね。

 

 そして、最後にブログ上でまるくんに個人的メッセージを送ることを許してほしい。

「大人になったね、まるくん。ママはうれしいよ。お誕生日おめでとう。少しでも長く一緒にいようね。」

 

 

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