『猫丈記』~その八.「コロナ鬱を猫に救われているお話」
今年は思った年と違ったな…。おそらく多くの人が多くの人が思っていることではないだろうか。私も全然大好きな人々に会えない中、世の中のどんよりとした不安を感じるたび、もともと持っている根暗すぎる性格がにゅっと顔を出してくることがある。もはや、「普通」ってなんだっけ?とか思う。でも、毎日朝はやってきて、マスクをして外にでなければならない。「手洗い、うがい、ヤク〇ト~♪」ならぬ「手洗い、うがい、アルコール消毒」。こりゃあ、すべったな、うむ。どうしよう。
ストレスが溜まって、外でご飯を食べたいという衝動に襲われることもあるが、外ではなるべくマスクをとらないようにしているので、我慢我慢。2月くらいからこんな感じ、これからもきっとこんな感じ。
インドア派なので、基本的に必要な時以外は外に出なくてもいけてしまうというのだが、ブログを読んでくださっている方お察しの様に、エンタメが大好きなわたくしは、今年の芸能人の「死」のニュースには打撃を受けている。ドラマ・映画すきなので(研究した過去もあり)、単純な打撃。人の生き死にって、わからない。たぶん、生きることについて考えると死にたくなるし、死ぬことについて考えると生きたくなるのかななんておもったり。これは完全なる私論だが…。
そんなとき、うちに猫がいる。まるくんは2歳になりさらにイケメンになった。すごーく反抗期で手につかないときもあるが、いつも通り、ときにわがままに、ときに空気を読んで、彼なりに毎日一生懸命生きている(ようだ)。毎日、絶対もらえない飼い主の人間用のご飯を必死に匂いを嗅ぎに来て怒られる。毎日、トイレをして大騒ぎする。毎日、活動的な向かい側の住人になぞにキレる。寝る前に、部屋に入りたがらずに怒られる。変に学習して、遊びをつまらなそうにいなすこともある。可愛さ余って憎さ百倍なんてことも。
でも、毎日こんな変わらない(なおかつ、学習しないで!っていうところでやたら学習する)猫と生活していると、しっかり日常が見えてくる。こういうとき、動植物のすごさを思い知らされるし、強さも感じる。だから、たまに動物病院にいってビビってわたくしに抱き着いてくると本当にかわいらしく見える。いと、をかし。
つらくなったときは、自然ってすごく心強いものなんだとおもう。それを一番身近に感じさせてくれるのが、わたくしの場合「まるくん」というわけだ。猫との生活は、私を「日常」に戻してくれる。コロナ鬱からも救ってくれる。我が猫よ、君はすごいな。
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ちなみに、もうひとつのブログの方で近々、「キヨ論partⅡ(仮)」が公開される予定です。最近のネタも取り入れながら、過去の自分を超えられるように営為作成中です🙇🙇
お楽しみに!!!