猫にもなれば虎にもなる。

院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

【にわか二人がとりあえず✖✖について語るラジオ】犬派も猫派もない平和な世界で「かわいさ」を語りたい【ブログコラボ第三弾】後編

《この記事には前半があります》

 

chanko-bamboo.hatenablog.com

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3.動物がいるという「心の癒し」

ちゃんこ:さて、これまでペットという枠でお話を進めてきましたが、動物と私たちにおいてほかの関係性もありますね。

 

チョピまる:そうですね!動物に触れあえる機会というのは、もちろん一緒に暮らしているという状況だけではないですもんね!

私は、癒しがほしくて猫カフェや動物カフェに何度かいったことがあります。猫カフェに行くときは愛猫の「まるくん」に嫌われないよう細心の注意を払いますが…(笑)

猫カフェにいくと、店員さんとネコトークもできますし、同じ猫でもそれぞれの個性、それぞれのかわいらしさがあるんだなぁ…と実感します。特に、カフェにいる子たちは人間になれているので、寄ってきてサービスしてくれたり、遊びを要求してくれたり…。もうそれだけで「癒し」なんです。時間が終わってカフェ出ると大抵ため息ついてますね(笑)

 

ちゃんこ猫カフェの店員さんと猫トークができるんですね!知らなかったです…!

私も一度だけですが猫カフェに行った時、猫たちのそれぞれの個性や可愛らしさを体感しました。ため息が出る気持ちもわかります(笑)

 

チョピまる:あとは、動物カフェ。いろんな種類の動物たちをまじかで見られるので、もう「癒され」ますね。店員さんがちゃんとついてくれていて、動物たちに触れるときの注意もしてくれますし。安心して、近づくことができます。たとえば、フクロウとかはよく見ると猫に顔が似ていることもわかったりして。小動物も、きゅるんとした目でこちらに興味を示してくれたり、エサを食べてくれたり…。本当に動物に触れる(近づく)ことは「癒し」になるんだなぁと思わせてもらえる場所です!おまけにフードもおいしいし(笑)

ちゃんこさんも以前、ブログで動物カフェにいったという話を目にしたのですが、どのように感じられましたか?

 

ちゃんこ:そうですね。ここ1~2年は北海道千歳市にある「バードウォッチングカフェ」に行ったりしていますね。*1

ここは猫カフェとは違って触れ合うことができないのですが、窓を隔てて間近で野鳥を観賞できるところが魅力の一つとなっています。観察だけではなく、目隠し付きの写真撮影スペースがあるので写真家にとっても楽しめる空間になっています。

また、野鳥観察や撮影だけではなく各テーブルに野鳥観の図鑑*2が置いてあり、ただ見るだけではなく学ぶという空間になっているのがとても魅力的でした。

 

チョピまる:確かに動物カフェは学べる空間にもなっていることが多いですね。私は不真面目なので、書籍類を読むより実物を見てしまいますが…(笑)

 

ちゃんこ:いえいえ!不真面目ではないですよ!私も実物を見るのに精いっぱいです(笑)

フードも美味しくてそれだけでも楽しい区間ですが、かわるがわる出てくる野鳥たちの動きや仕草に見入ってしまい、気が付いたら一時間、二時間と時間があっという間に過ぎてしまっている感じですね。その時間を例えるなら「青春」のような時間ですね。目まぐるしく変わっていく風景はまさに青春時代を彷彿とさせる早く楽しく過ぎてく時間でしたね。…そんな話をしていたらまた行きたくなってきました…(笑)

 

チョピまる:うらやまし~!私もつれてってほしいくらいです!!

 

ちゃんこ:一緒に行ける日があるといいですね!

そういえばバードウォッチングカフェや以外にもふれあい牧場にも行きましたね…。*3

この牧場ではエサが100円で売られていて、そのエサを牧場にいる動物にあげることができるといった、ふれあい体験型の施設となっています。ヤギや牛、馬とのふれあいはモフモフ不足を解消してくれました(笑)

 

チョピまる:ハイジ牧場は私も昔行ったことあります(笑) 乗馬体験をしたこともあります!

 

ちゃんこ動物の温かさや鼓動といった「生きている」感触や匂いといった感覚を感じることは人間にとって母性のような「いい意味での自己犠牲が伴う優しさ」を引き起こすのに大事な行為なのかもしれないですね。人間は本能より理性の制御が大きく、どうしても感情といったものに支配されがちです。だからこそストレスやフラストレーションがたまりがちになり、「いい意味での自己犠牲が伴う優しさ」を忘れがちになってしまいます。(現代社会は特にそうですよね…。)だからこそ動物との触れ合いは大事なのかもしれないですね…。

 

チョピまる私たちはデジタルの時代で生活しているので、特に「生きている」という肌感覚や実感をもつことが難しいということなのかもしれないですね。そう考えると社会的にも教育的にも動物の立場はこれからより重要になっていくような気がします。

 

ちゃんこ:文明が発達した今だからこそ「生きている」ことの意味を見つめなおさなければならないですね。具体的にはどのような関わり合いがあげられますか…?

 

チョピまる:たとえば、社会的という面でいうとすでに、補助犬盲導犬聴導犬介助犬)を街で見る機会も多いですよね。彼らは非常に高度な技術を持って仕事をしつつ、飼い主へ幸福をもたらし、飼い主から幸福を得ているという究極の「共生」のすがたを示しているような気がします。

 

ちゃんこ:確かに、補助犬は人間と動物の究極の「共生」のスタイルですよね。ペットという関係も非常に人間にとって、「癒し」を与えてくれる役割をしていますが、“共に”“生きる”という「共生」の観点から考えると人間の視点が強調されている印象だったのでちょっと異なる部分もあるのかなと思います。なのでこの補助犬という存在は究極の「共生」の形を作り上げていると私も思います。

 

 

チョピまる:一方的ではなく、双方とも幸せになり、「癒し」を得られるというのが、「共生」の理想形だろうと思います。

 

ちゃんこ:また、教育面では学校という観点では「生き物係」という役割を子供たちで作るだけではなく、クラス全員で、または学校全体で生き物を飼うということをしていますよね。この取り組みは非常に効果的です。というのも文部科学省が教育で求めているのが「生きる力」という能力なんですよね

その「生きる力」というのは文字通り生きるための体力だけではなくて、今後社会で子供たちが主体的に生きていく力というのが求められているということです。この学校全体で生き物を飼うということは子供たちに、生き物を飼うという「責任感」や飼っていく上で必要な「コミュニケーション能力」というものを与える効果があると私は思います。まあ実際は子供たちだけでやるのは難しいのですが、その難しさを経験するということも大事なのかな、と思います。

 

チョピまる:「生きる力」、「情操教育」…。これは、「言葉」や「技能」だけでは得られないものでありますからね。昨年、私は動物系のある資格を取得したのですが、そこではやはり動物と接することによる、子供たちの「非―言語的コミュニケーション能力」の向上が認められているとされていました。

 

ちゃんこ「非―言語的コミュニケーション能力」の向上。人間が持っている感情、「情操教育」ですね。

 

チョピまる直接、ではなく便利で簡単に間接的にコミュニケーションをとれる世の中にあって、このような「非―言語的コミュニケーション能力」を子供たちが身につける機会をどれだけ与えていけるのか。ここには「動物」(特に愛玩動物)たちの協力が不可欠ではないかと思います。これは学校だけではなく、地域や我々大人がどれだけ尽力できるのかにもかかっている気がします。

 

ちゃんこ:そうですね。おっしゃる通り、間接的にコミュニケーションが取れる今だからこそ、「動物」の存在が必要になってきますね。まさに動物は「社会の潤滑油」的役割を果たしている存在ですね

 

 

4.まとめ~動物と人間の関係性~

ちゃんこ:「癒し」という観念から少し話がそれましたね。チョピまるさんにとってこの『動物がいるという「癒し」』は社会にとってどのような関係性を生み出すと考えますか?

 

チョピまる「寛容さ」だとおもっています。そして、いま目の前に、あるいはネット上でつながっている相手にも感情があり、身体があり、様々なバックグラウンドのなかで「生きている」という「想像力」をもたらしてくれる存在こそ、“不可逆な生”を生きている「動物」たちなんだろうと思います。

 

ちゃんこ:確かに、動物たちは人間のように話すことができませんね。だからこそ「寛容さ」が求められますね。

 

チョピまる:飼い猫の「まるくん」は、時に感情をあらわにして自分の欲求をあらわにすることもありますが、逆にちょっと人間たちがぎくしゃくすると、自分を抑えて私たち家族を落ち着かせてくれます。「動物」たちは、人間が思うよりずっと「想像力」を持ち、我々よりも短い生を精一杯生きています。それが、「ああ、みんな生きているんだな」、「みんな一生懸命なんだな」という当たり前のことを再確認させてくれるんです。ですから、動物の「癒し」にふれるとき人間は、社会の中でもみんなそれぞれが「生きている」という「想像力」を取り戻せるんではないのかな…と。そうすれば、互いに慮り「寛容さ」を社会の中に小さいかもしれませんが生み出してくれるような気がしちゃうんです。

 

ちゃんこ:私の実家で飼っていた犬や鳥もチョピまるさんが仰った、「想像力」というのは私も触れ合うたびに考えさせられます。人間よりも小さな体で生き、優しさを見せるその姿は我々の想像を超えた「生命力」であったり、「優しさ」であったりしますよね。

この時に我々が忘れてはいけないのは、ペットは飾りではなくともに過ごす「パートナー」であるということですよね。我々はただ可愛いから飼っているのではなく、そこに「癒し」であったり、「共存共栄」であったりといった家族やパートナーとしての存在を求めるから飼っているんだと思います。また、すべてのペットにとって自分たち人間の存在が「優しい」ものでありたいですね。そのためにも今までお話しした「寛容性」や「いい意味での自己犠牲が伴う優しさ」を我々が持たなければならないですね。

 

チョピまる:動物を見たり触れたりすることは、そのような「優しい」世界を見せてくれるような気がします。動物に限らず「他者」と、一緒に暮らすということは、いいことも嫌なことも両方あるんだと思います。「いいとこどり」はできないんだとそれぞれ自覚して、接していける覚悟があれば、いいペットライフを送れるのかもしれないですね。私も改めて考えさせられました。

 

ちゃんこ:さて、長々と真面目に、時には緩くお話してきましたが、チョピまるさん、いかがでしたか?

 

チョピまる:そうですね…。なんだか改めて飼い猫の「まるくん」と暮らせていることが幸せなことなんだな、かけがえのないことなんだな…と思いました。まあ、いつも思っているんですけどね(笑)また、季節や時勢が良くなったら動物園や動物カフェ、譲渡会などいろいろなところに出向いてみたいなとも思いました!ちゃんこさんはいかがでしたか?

 

ちゃんこ:私は…改めて自分が感じているこの「可愛い…尊い…」という気持ちを分析することでいままで以上に動物の魅力を見つけ出すことができました。また、チョピまるさんが仰る通り、動物とともに暮らせるということは特別なことで、何にも代えがたいかけがえのないものだとも思いました。私も今度行けるときに牧場や動物カフェに行きたいです!そしてモフモフ不足を解消します!(笑)

 

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さて、チョピまる、ちゃんこによる動物談義は以上になります。

 なかなか突っ込んだ話題もございました。我々の見解が正しいとは限らないと思いますし、間違いであるということもないと思います。今回は「可愛さ」というまさに答えのない哲学的な議題になりました。

 人間と動物の「共存」。それは「可愛さ」や「癒し」の中にある「優しさ」を引き出させてくれるものだという結論に至りました。

犬派か猫派か、そんな言葉はございますが、それを越えた先にあるのは「可愛い」という感情です。このコラボを通して今一度、動物やペットの「可愛さ」を見つめ直すきっかけになっていただけたら幸いです。