猫にもなれば虎にもなる。

院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

『猫丈記』~その三.「スマホの写真が猫だらけになる理由」

猫丈記の第三弾にしてようやくこのシリーズのキャラクターができました。

題して…「だるまるくん」

うちの飼い猫にかけた名前です!ちょっと気持ち悪いですが、愛される子になればうれしいです。なんかわからないのですがわたくしが書くとちょっと変になっちゃうんですよね(笑) 言い訳です、はい。

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だるまるくん

 

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 猫は「映える」といわれているようだ。Instagramとの親和性がいいということなのか。インターネットには、かわいらしい愛猫をのせる人も多い。YouTuberでも猫を飼っているひとがおおいなと体感的には思う。

 

 

 実際、私のスマートフォンフォルダもほとんどが飼い猫の「まるくん」で埋め尽くされている。すでに現像したり、Googleフォトに預けたりしているものも加えたなら、一体何枚あるのか。把握しきれてない。「まるくん」に出会ったのは、まだ一年ちょっと前だというのに。

 

 ただ、このブログでもTwitterでもほとんど「まるくん」の写真を挙げることはない。もちろん、私の写真の腕が底辺だからという理由もある。あるいは、「まるくん」や私自身のプライバシーを(誰も興味ないだろうに)守っているという面もある。

 

 

 でも、写真を撮ってしまう。なぜか。完全に自己満足だ。私にとって「まるくん」は可愛すぎる。日常のめずらしくもない一コマも彼がいれば、私にとって「映えて」しまうのだ。だから、なにかしらあればスマホをかまえてしまう。昼寝の彼も、いじけたかれも、いたずらをするかれも、甘えたかれも。宝物のように感じて、写真を何枚かとってしまう。そのような情動でとるのだから、「映えている」とか気にする余裕もない。だから、何回とっても写真の腕は上がらないままだ。

 

 

 もちろん、猫にとって写真を撮られることは(とくに頻繁となると)迷惑この上ないらしいので、飼い主側には自制心が必要である。その子の性格などに合わせて、「今だ!」とおもったときにだけにしなければならない。それでも自制心が効かなくなったらもはや、一週間何回までとかルールをつくらなくては。

 

 

 Instagramなどで、自分の飼い猫の写真をキレイにとって出している方々の個々の事情は知らないし、それをいいとか悪いとか判断はできない。しかし、その写真をみて画面のまえの私までニヤつくことがある。撮影技術の高さをうらやましいなと思うこともある。でも、出先の空き時間にみる私が撮った下手くそな写真でもおなじくらいニヤついてしまうことがある。

 

 改めて思う。猫はそのものがいつでも「かわいい」とおもわせる力をもっているんだ、と。撮影技術はそれを引き立てて客観視させてくれるものでしかない。結局、われわれ人間は、猫に写真を撮らされているのではないだろうか…。猫は、写真のフォルダを占領してしまうほど、“かわいい悪魔”にしか思えなくなってくる。

 

 

 猫のいる日常=幸福。幸福は写真に残したい。そんな瞬間の連続。それが、スマホの写真が猫だらけになってしまうことの理由。私的結論。

 

 

 

 

写真集 必死すぎるネコ (タツミムック)

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  • 作者:沖 昌之
  • 発売日: 2017/09/15
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