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院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

ケイティ・ペリー「The One That Got Away」-時の矛盾とマジック、「喪失」後の生-

 

 いつ聞いても心地よく、ほどよく切ない曲がある。はじめてPVをみたときに、はっとした印象を持った思い出のある曲。ケイティ・ペリー「The one that got away」だ。非常に本文をみる前に、公開されている公式PVを見ていただけると嬉しい。

 

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【以下、音楽知識、英語知識に多少の難、注意でございます…!】

 

 

 

「失恋」と「喪失」

 この曲と曲に合わせたPVをみれば、「失恋」という状況が容易に思いつくのではないかとおもう。事実、歌詞は以下のように始まっている(和訳、著者)。

 

Summer after high school, when we first met

(私たちがはじめてであったのは、高校を卒業した後の夏だった)

We'd make out in your Mustang to Radiohead

(あなたのレディオヘッド(※英国のロックバンド)がかかっているマスタング(※フォード車)でイチャイチャして)

And on my 18th birthday, we got matching tattoos

(わたしの18歳の誕生日にはおそろいのタトゥーまでいれた)

Used to steal your parents' liquor and climb to the roof

(あなたのうちのお酒をぬすんで屋根のうえにあがったりして)

Talk about our future like we had a clue

(もうすでにわかっているみたいに一緒にいる未来について語ったりしていた)

Never planned that one day I'd be losing you

(そのころはあなたを失ってしまう日が来るなんて、これっぽちも想像してなかったのよ)

 

 

 以上が一番のサビ前までの歌詞だ。“出会い→付き合っていたころの楽しい日々→失恋”が非常に効率・リズムともによく語られている。年齢、年代(レディオヘッドは90年代にヒット)、状景(マスタングや屋根の上)、熱度(18歳の誕生日にタトゥー入れたとか)が短い文に克明に刻まれているからだ。PVでも、この部分はお互いの絵を描いてキスをするなど、いちゃいちゃしている描写になっている。ただし、歌詞でもPVでも過去形を使っているので、もちろん破局の匂いが充満していて、それを回収するように、最後の一行(Never planned that one day I'd be losing you)で語られる「失恋」。いま、彼らはもう一緒にいないのだとはっきりする。

 

 曲のなかの人物の状況は、はっきり言えばもうこの一番のサビ前までに、説明し終えてしまっている。だからこそ、この曲は「失恋」の切なさだけを表現しているだけにとどまらない。より広く、「喪失」について表現している。それがどのようにおこなわれているか。その点については、次の項に書いていこう。

 

 

「時間の矛盾とマジック」~思い出補正、失ったから「宝物」となるもの

 一番の歌詞で語られた「キレイ」な思い出たち。二番の冒頭でも、「キレイ」な思い出が語られる。

 

I was June and you were my Johnny Cash

(わたしがジューン・カーターであなたはジョニー・キャッシュ

Never one without the other, we made a pact

(二人でひとつなんだって、そう誓った)

  

 PVでは、見られる喧嘩のシーンは歌詞には存在しない。別れた後の彼の様子がちらっと描かれるだけだ。彼(=you)と自分との関係は、「キレイ」に描かれている。

 しかし、二人が離れたのはおそらく二人の日常のなかに“齟齬”があったからであり、少なからず対立や問題が生じていたはずだ。それなのに、彼のことはこの上無く愛おしく思っているようだ。Bridgeの歌詞は、そのことを秀逸に表現する。

 

All this money can't buy me a time machine, no

(どれだけのお金をかけてもタイムマシーンは買えないの)

Can't replace you with a million rings, no

(百万個ある指輪だってあなたには代えられない)

I should've told you what you meant to me, whoa

(あなたが私にとってどれだけの意味をもつ存在だったかちゃんと伝えるべきだった)

'Cause now I pay the price

(でも伝えなかったからその代償を負うのね)

 

 

 お金や輝かしい指輪も「あなた」を取り戻せるものにはならない。お金や指輪だって、「あなた」と一緒だったら、得られなかったかもしれない。しかしながら、満ち足りているからこそ、欠けている「あなた」が愛おしいのだ。「あなた」は「喪失」したものの象徴でもある。

 

 時の持っているかなしき矛盾とマジック。過去と現在は強硬な位置関係を持つ(過去→現在)。この関係性は、論理学の「A→B(AならばB)」が成立しても「B→A(BならばA)」が必ずしも成立しないことのように、その「位置」は変えられない。それなのに、人間は都合よくいい過去を記憶の中に保存し、磨いてしまう(逆につらい思い出も強調されることがある)。いわゆる、「思い出補正」だ。彼は「喪失」した“過去のもの”だからとてつもなく「キレイ」で愛おしいのである。

 

 

 この「時の持っているかなしき矛盾とマジック」は、時間の刻みとして音楽の上でも表現されている。この曲は、曲冒頭から流れ続ける無機質で均等リズムを刻むダンダンという音の強調と進行によって、まさに時間という客観的な指標を強調する。Bridgeなどでケイティ・ペリーの歌唱が感傷的になっても時は無情にも流れる。でも流れる運動の方向と感情の逆流が引き裂かれるようだから、「切なさ」は増していく。

 

〈PVなしバージョンの方がこのリズムがわかりやすい↓〉

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 また、「時の持っているかなしき矛盾とマジック」は、現在目の前にあるものが「凡庸」(交換可能)に感じ、過去(≒喪失した何か)が「特別」(交換不可能)に感じるという効果をもつが、これは、歌詞中に強調される “The One” というワードにも隠されているのではないだろうか。

 題名にもなっている「The One That Got Away」は、「逃がした魚」というような表現でもあるらしい。このときの「The One」は「逃げていったやつの一人」(The one of them)という抽象的なニュアンスがあるが、Post-Chorusの「The One」の強調は、「喪失したほかでもないあなた」(Only One)という具象的ニュアンスがともる。「喪失」体験が「思い出補正」にかけられればかけられるほどに、具体化して「もう取り戻せない」のだとわかる。

 

 このような「喪失体験」と時間のマジックは、もはや「失恋」だけでなく「挫折」や「死」などより広いものをイメージさせる。だからこそ、歌詞にはないような「死」というテーマをPVではとりいれられたのかもしれない。

 そのうえで、この曲は、「喪失」後のヒントを与えてくれる。だからこそ、切ないだけではなく心地よくもあるのだろう。

 

 

 

「喪失」とともに生きること~弱いまま強く生きること

 この曲はChorus(サビ)で以下のようにうたう。

 

In another life, I would be your girl

(もしも生まれ変わったなら、もう一度あなたの彼女になる)

We'd keep all our promises, be us against the world

(全部の約束を守って、世界を敵に回すことになろうとも)

In another life, I would make you stay

(もしも生まれ変われるなら、今度はあなたを離さない)

So I don't have to say you were the one that got away

(そしたら、私はあなたを「わたしを捨てたやつ」って言わなくて済むじゃない)

The one that got away

(わたしから逃げたやつだなんて)

 

 

 この歌詞には、「喪失」は乗り越えなくてもよい(来世への仮定)、それはそれとして「今を生きる」(仮定で済ませること)という弱くて強い「喪失」への現実的な思考が見られる。人間は、「喪失」から逃れることはできない。悲しみは避けられない。そのうえ、この曲が示すように「喪失」こそ、遡及的にそのものの「価値」を強調してしまえば、その悲劇性は増していくことまである。

 

 これに対してよく言われるのは、「喪の仕事」という精神学的なプロセスだ。たとえば、ボウルビィの4段階*1は、情緒危機(喪失を受け止められない)→怒り(喪失を受け入れつつも激情がある状態)→断念(喪失を受け入れ抑うつ的になる)→再建(喪失対象が思い出となり、穏やかに受け止められるようになる)という段階で「喪失」を受け入れ、生きていくという。

 

 しかし、喪失対象の思い出は、「喪の仕事」でいうところの「怒り」にさかのぼるようにその「価値」を強調することもある。それがこの曲が「リアル」に表現したものだった。そんなときは、「喪失」をこのサビのように抱えてしまえばいいのかもしれない。“いつか別の世界で”という「仮定」(まさに、実現しがたい英語の「仮定法」的思考)は、あいまいだが「希望」になりうる。どんなものをかけても取り戻せないものは、非常に悲しいことながらありうる。そうやって夢のようなものを「仮定」としてかかえながら、目の前の現実を生きることこそ、「喪失」後を弱いまま強く生きる方法なのではないだろうか。

 

 

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 かつての恋人を悲劇的な形で亡くしたことがあるケイティ・ペリーならでは名曲だと思っております。

 私自身も、なにかを喪失したときこの曲に助けられた思いがあって、音楽・英語が苦手ながらもこのような分析を書いてみたいとおもいました。

 読んでいただきありがとうございました!