無色のマリーゴールドーーあいみょん「マリーゴールド」の効果について【前半】
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北の大地は暑く、遠く沖縄と同じ気温らしいです。早くも夏バテしそうな今日この頃に明日からの寒さを怖がっております。気温のジェットコースターはつらいのです。
そんな中、よく聞いているのが、あいみょんさんの「マリーゴールド」です。夏を思わせる曲だからでしょうか。とはいえ、去年の曲なのですが、東海オンエアのてつやさんがその素晴らしい歌声を披露したりとまだまだ話題の曲でしょう。
今回はこの曲の歌詞を中心にこの曲が生み出す「効果」について書いていきたいと思います!
※ 「効果」とは、分析(あるいは解釈)が、 「何を意味しているのか」について書くのに対して、「何を生み出し、どうさようしているか」という問いです…。
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公式PV です↓
あいみょん - マリーゴールド【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
見えない主体――共感的「効果」①
この曲には、いわゆる「語り手」のような存在はいるが、具体的な「僕」「わたし」「俺」のような一人称は登場しない。これはこの主体を見えなくさせ、あるいは「誰でもあてはまるのでは」と思わせる「効果」が考えられるのではないか。
この曲の主体は、男か女か。たとえば、非常に単純な二元論で考えよう。君に対して、主体はリード的な、いわゆる旧来的な「男性」の部分を持つ。
「もう離れないで」と
泣きそうな目で見つめる君を
雲のような優しさでそっとぎゅっと
抱きしめて 抱きしめて 話さない
(一番のサビラストなど)
「離さないで」ではなく、「離さない」という主体的な表現が、割と男前に受け止められるのではないか。もちろん、能動的=男性というわけではないが、「君」をリードするような側面は旧来的な「男性」的な印象を持たせるようにみえる。二番の同じ個所でも、以下のようにリードするような表現が続く。
ああ アイラブユーの言葉じゃ
足りないからとキスして
雲がまだ2人の影を残すから
いつまでも いつまでも このまま
(二番サビラストなど)
キスをするのも、アイラブユーというのはこの主体に見える。主体は強さすら感じられるほどだ。そうこの能動的強さは最後に強調される。「離さない ああ いつまでも いつまでも 離さない」リフレインされるからだ。「~ない」「~だ」という固い書き言葉的な表現も、「固さ」が「男性」的といえるかもしれない。ある一面をとれば「男前」の主体が浮かび上がる。
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一方で、非常に柔らかく、「弱く」、「他力」的な表現も存在している。二番あたまの歌詞は以下のようなものだった。
本当の気持ち全部
吐き出せるほど強くはない
「強くない」という言葉によって、ぼんやり「弱さ」が浮かび上がる。さらに、「でんぐり返しの日々」、「マリーゴールド」、「雲のような優しさ」というロマンティックな「柔らかい」表現には、旧来的な「女性」的なイメージがうかぶ。また、この歌詞の中で最も「女性」的なのは以下の部分であろう。なぜなら破調が起こっているからだ。
遥か遠い場所にいても
繋がっていたいなあ
2人の想いが 同じでありますように
書き言葉だった語調が「~なあ」という話ことばに一瞬変化する。「~ように」という表現には自力ではなく「他力」的な「弱さ」がある。非常に簡単な見方をすれば「女の子らしい」側面もみえてくる。
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では、主体のイメージを総合するとどうなるか。それはわからない。どちらともいえないし、どちらともいえる。だから、多くの人にあてはめることもできる。どこか自分(=聞き手)にも似ているような気もする。
そう、これが「共感」を呼びやすくなる「効果」の一つ目だ。主体は、ひとつの「穴」として開かれている。対象а…いややめておこう。この主体は、非常に不確定な存在として「無性」的だから人によっていろんな形に形成可能だ。主観が介在する隙間をあたえてくれるのがこの主体だ。
「揺れる」時間と空間ーー「共感的」効果②
「君」と主体は、いつどこにいるのか。正確に答えられるのはあいみょん本人くらいか。いやだれもいまい。全体に表記が「揺れる」からだ。振り返ってみよう。
時間:「でんぐり返しの日々」、「あの日の恋」、「今日という日に」
空間:「目の前」、「遥か遠い場所」
時間、空間がもともと具体的なものが避けられている。その上、「あの日」⇔「今日」、「目の前」⇔「遥か遠い場所」と混ぜられて「マリーゴールド」のように「揺れる」。
では、揺れることで何が起こるのか。それは、物語の結末がハッピーエンドなのかバッドエンドかということに関わる。「今日」一緒にいて「目の前」にいるなら非常に幸せにも思えるし、未来か今に「離れる」ならバッドエンドにもとれる。抽象画のような時間と空間は想像に主観を取り入れることを許可する。これも「共感」を呼ぶ「効果」の一つだ。
ハッピーエンドなら「離さない」という言葉のリフレインは今の幸福に対する、やわらかな執着ともいえるだろうし、バッドエンドならそのリフレインは強迫観念にも見えるだろう。不思議な効果だ。それを感じ取るのは聞き手の感性次第といったところだろう。まさに瞬間シックスセンスry…。
中低音の歌声と日常―「共感」の効果③
あいみょんの歌声は、そんなに高音をくり出さない。高い声はそれだけで“プロ的なもの”を象徴できるかもしれないが、この曲ではそんなに出していない。
その声はつややかとも、力強いとも形容できるかもしれない。つまり、曲の「効果」を高めているのだ。「無性」っぽくもあるし、悲観/楽観的ともいえるかもしれない。
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さて、以上のことを踏まえていよいよ「マリーゴールド」が「無色」であることに言及できる。しかし、今日はこの辺にしておこう。この曲の最大のポイントは、麦わら帽子という夏を強くイメージさせるものと「向日葵」ではなく「マリーゴールド」が結びつけられたことだ。後編に続く…。
つづき↓↓