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【vimeo】人生の三つ目の坂どう乗り切るか?【Cabin Pressure】

  vimeoの醍醐味は、アニメーションというカテゴリーにあるかもしれない。と思うくらいに良作がおおい。約2週間前に発表された、Matthew Leeの『Cabin Pressure』を見たからだろう。『Cabin Pressure』は見た目がふんわり柔らかな羊毛で作られた人形によるパペットアニメーションだ。

 

パペットアニメーション

 止まっている被写体を少しずつ動かしそれをつなげてアニメーションにする方法。子供向けの作品の手法としてよくみられる。

 〈例〉ムーミンのパペットアニメ

www.youtube.com

 

 

 その輪郭がふんわりし、温かな雰囲気すら感じる見た目とは違い、『Cabin Pressure』は人生についてをテーマにしようとする。映像的なテクニックを散りばめながら…だ。今日はこの作品についてみていこう。以下にリンクを貼っておきます!

 

vimeo.com

 

 

【※ネタバレ注意※】

 

 

 

「人生には三つの坂があります!」

 結婚式のスピーチできいたことがないだろうか。「人生には三つの坂があります!」というセリフ。「上り坂、下り坂、そしてまさか!」というギャグでもあるのだが、言い回しの良さから以前はよくつかわれていたし、三つ目の「まさか」(=思わぬこと)が人生の対処で最もむずかしく「その人」がでてしまうというのも言い得て妙だ。

 

 『Cabin Pressure』は「まさか」のときをどう乗り切るかというテーマである。「障害を乗り越える」という物語の進め方は作品には非常に多い。とくにアクションやサスペンスには必須の進め方といえる。ハリウッド映画(最近はやりのマーベル映画もふくめ)は悪が登場しなければ、ヒーローは活躍する場所はない。平和が崩されるからこそ、その回復の運動が望まれる。そのためにアクションが必要なのだ。

 特に映画の世界なら、イーサン・ハント(『ミッションインポッシブル』シリーズ)やジョン・マクレーン(『ダイ・ハード』シリーズ)、ジェームズ・ボンド(『007』シリーズ)のようにダイナミックで速いアクションとともに「まさか」を鮮やかに乗り越え悪を退治していくことだろう。映画の世界では、上記のスター以外にも「一般人」を主人公とした作品もあるが、その場合でも強靭的な決断力と運で乗り越えるというパターンがよく見られる。『集団左遷』という福山雅治主演、現在放映中のTBSドラマなどでもみられるストーリー展開だ。

 

 しかしながら、実生活において「まさか」をどう乗り越えるのかは非常に難しく「葛藤」を生む問題だろう。ほとんどの人間には超人的な運や運動能力もない。そうすると…を表現した作品が『Cabin Pressure』だ

 

 

三つ目の坂=「まさか」をどう乗り切るか?

 『Cabin Pressure』の主人公のおっちゃんは、飛行機の客室(=Cabin)にいる。飛行前の非常時のためのアナウンスにいちいち反応するなど真面目に聞いている。ちょっと小さめのアクションは小市民っぽさもある。真面目さは、しっかりと服装に反映されている。ワイシャツにネクタイ、革ベルトの腕時計…。きっちりとした雰囲気には「神経質」な空気さえ漂う。そこに登場するのは彼とは正反対のおばちゃんだ。このおばちゃんは、映画やドラマでいう「悪役」の位置に属する。このおばちゃんと危機によって、主人公の世界は揺れ動く

 

 

悲観主義楽天主義、二項対立と「まさか」

 とがった眼鏡、まるい体系、ドレスのような服装…。主人公の隣に表れた主人公とは正反対の雰囲気のおばちゃんは余裕のありそうな人だ。大きなため息や、「上にあげろ」と呼ばれる荷物は足元においてることは主人公に眉をひそませる。神経質で細かなおっちゃんに対し、おおざっぱなおばちゃんという構図が二人をならべた二つの画面に一目瞭然だ。ここまでのはっきりとした対立構造は、見た目や動きを管理できるアニメーションだからこそかもしれない(二人の動きの細かいところま二項対立が徹底されている

 離陸しても注意書きを見つめ一つのグラスにも注意を払う主人公はどちらかといえば、悲観主義者だ。外をみつめ、大量のグラスをおきっぱなしにするおばちゃんは楽天主義者だ。小道具をふくめ具体的な視覚的状況の説明で二項対立という単純な構図を効率的につくりあげている。

 

 そのときだ。おっちゃんが置いていたグラスが揺れる。ベルト着用のサイン。斜めの構図で映し出される不安定な画面とおっちゃん。といった具合のショット構成で非常事態が示される。それに対し、いまだ水平ショットで安定感のあるおばちゃんはベルトがうまくはまらず、そのまま放置して笑顔だ。非常事態=「まさか」であわてる悲観主義のおっちゃんと、「まさか」が判定されておらずなにもかわらない「水平」である楽天主義のおばちゃん。

 

 このとき、さらに揺れがおきる。雲の中を尋常ではない角度で降下する飛行機。非常事態が点灯する。客室は赤い光が点灯する。それでもタバコを吸うおばちゃん、必死に非常事態時の注意を確認するおっちゃん。視点により、「まさか」の景色がこうも違うものか。しかし、普通、このような事態に合えばパニックになるのが、「普通」だ。おっちゃんは普通の対応といえるだろう。おばちゃんの対応が超人的といえるかもしれない。おっちゃんがおばちゃんを変えるのかとおもいきや事態はそうではない。

 

「まさか」には自分をつらぬき「葛藤」せよ

 たばこを注意したおっちゃんに、おばちゃんはこう言った。

 

It doesn't matter anymore. It's all over.

(問題ないわ。もうおしまいなのよ。)

 

 危機に面したとき、真面目に対面しても意味がないのか。「まさか」に対し自暴自棄ともいえる楽天思考。いやすでに破天荒な思考ともいえるのだろうか。

 

 その「葛藤」を乗り越えるのがハリウッド的「正義」の体現だ。『ダークナイト』のバッドマンは「正義」の曖昧さをジョーカーという「悪」に問われ「葛藤」する。そして、彼なりの「決断」をする。「まさか」は「葛藤」を必要とする。そう内面的な「二項対立」。

 

 しかし、その「葛藤」はおっちゃんにとっては一瞬だ。彼は自分をあっさりすてる。狂った笑い声、あおりの構図。見上げられたおっちゃんはさっきまでのおっちゃんではないことが明らかである。自分的な行動ではないからとても極端で不格好だ。カットの間にタバコをくわえ、カットの間にネクタイを頭に巻く。そしてカットの間に吹くまで脱いでしまう。神経質で真面目なおっちゃんは一瞬で消滅する。それは狂気でもあり、反面滑稽だ。

 

 だから、その後一瞬で場面が転換したあと皮肉にも危機は脱されたことがわかるのだ。「まさか」において自分を捨て「葛藤」をしなかったものの顛末は非常に滑稽なものになってしまった。おそらく、ほとんどの人は彼の極端な「選択」を支持できずとも否定はできない。三つ目の坂をどう乗り切るか?このコメディには、そのことへの大切な姿勢が隠されているのか。自分を捨てるな、葛藤せよ。と。

 そして、この作品はかわいらしい羊毛のパペットアニメーションだから成立した。ラスト、おっちゃんは下半身まで丸々見えていた。すでにR18。しかも、テーマがえぐい。それでも羊毛のやわらかさとアニメーション表現のカクツキがそれを包み込み許してくれる。おそるべし、パペットアニメーション