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院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

東海オンエアの主砲は、マッドな哲学者~しばゆー論【東海オンエア個人論第二弾】#後編

【 この記事には、前編があります!!】

 

caaatteey-0815.hatenablog.com

 

 

無思想性の思想

 しばゆーといえば、動画内で多くのキャラクターを生み出し演じてきた。このキャラクターたちは、「意味のないもの」にみえて面白い。でも、絶妙なバランスでなんだかとても深い「意味のある」ものにも見えてくる。その不思議さが面白さのなかに「癖」をもたらす。そのような効果についてここでは、見ていきたいと思う。

 

個性的すぎるキャラクターたち

 まずは、前編で見たような「しばゆー」自身を生かした主たるキャラクターたちを見ていこう。まずは、「東海オンエアがもし女だったら」*1でみられたユニット“ぽにぽにゆーとぴあ”でみられた「しばちゃむ」。本人がいなくなったら、すぐ悪口を言う虫眼鏡扮する「むしめろでぃ」や、気が弱くてはっきりいえないけど実は一番気性の荒いてつや扮する「てぴ」がなんとなく、女子にいそうな感じの雰囲気を出しているのに対し、しばちゃむは「しばゆー」を隠しきれない。「ありえなくなーい」のポージングはもはやデューク更家のようでわき毛がばっちり出ちゃっているし、「あげぽよピーナッツ眉毛爆弾」に至っては、ギャル語風のしばゆー語だろう。「かわいそうでない」という女子あるあるワードからのはなをほじるというかいじるという仕草のギャップ。やはり、しばゆーがあふれてしまう。

 

 

 また、「樫造 譜面太郎 (73)」*2というコントの、樫造譜面太郎。73歳という設定なのだが、いつものメイクがなく、見た目はちょっと短い服をきているしばゆーそのものだ。街に繰り出してもしばゆー節が、溢れていて途中子供に「しばゆー」と声をかけられるのだが、そのお母さんのバンダナの色を「アクアフレッシュみたい」だと形容するこの言葉の癖の強さが、もうしばゆーそのものだ。そのほかにも、「緊急SOS!風呂の水全部抜く大作戦【浴槽に謎の外来種が!】」*3での、排水亭ヌキヌキや、「【吹いたら退場】シバッハのソロクラシックコンサート」*4など、いつもの動画で作り上げられてきた、あるいは、見られている「しばゆー」の個性が色濃く出ているキャラクターは、枚挙にいとまがない。

 

 

 その派生形で「おばあちゃん」もいる。しばゆーには、取りつかれたように“おばあちゃん―おはぎ”の方程式があるらしい。一般的には、おばあちゃんの近辺におはぎがあったとしても、方程式の様にくっついてイメージをもっている人は、少ないのではないだろうか。まず、USAゲームの題名おばあちゃんのところで見られた「おはぎの中の干し柿」、シバッハでは「見かねた祖母がおはぎで洗顔」という歌詞も登場。とにかく、おばあちゃんにはおはぎがくっついている。このあたりの紐帯、しばゆーワールド。これを具現化したような動画も存在する。「【カオス】エナジーおはぎを作って病気のしばゆーを元気にしてあげよう!」という動画だ。

 のどに炎症を起こし、急性咽頭炎になってしまったしばゆーが、なぜか元気をだすためにてつや・虫眼鏡・りょうに「エナジーおはぎ」をおねだりするという動画だが、このときもこのカオスのうえにしばゆーがおばあちゃんになるという要素の重ね。「おばあちゃん―おはぎ」の「-」(紐帯)があまりにも強いためか。癖が強すぎる。

 

 自己をあまり出さずキャラ自体がたってくるとしみつ・てつや、背の小ささを生かして女の子や子供のキャラを演じる虫眼鏡、全体のバランスをとる役割をになうゆめまる、最近キャラが多くなってきたりょう。その中で、みずからの個性を消せ切れないことでかえって目につき癖になる、それがしばゆーだ。個性集団の中でも、突出した個性がどんなときも隠しきれず「でてしまう」からこそ「東海の主砲」といわれるのだろう。

 

 なんにも考えていないのか(天然か)/深い意図、ブランディングがあるのか(計算か)それはわからない。一見、どんなときも出るしばゆー色は、天然だけにみえる。しかしながら、そこからとんでもなくブラックジョークの壮大さをみると「もしかしたら深い思想があるのでは…?」と思わせてくる。ヨコに広がるだけではなく、タテにも深みを感じさせるしばゆー。これを感じさせる部分を次に見ていこう。

 

 

 

社会派!?!?ブラックジョーク???のキャラクターたち

 しばゆーの作る/演じるキャラクターは、上記の様に「しばゆー色」が強いことで有名だが、その色と社会派的要素やブラックジョークが合わさった時、不思議な世界観が形成されてく。そして、リスナーの私たちは「おもしろノックアウト」されてしまうのだろう。

 

 その代表作は、「【新スター】ゆるキャラグランプリ開催したら神キャラ爆誕の連続!!!」だと思う。

 

 

 ここで、しばゆーが生み出したキャラクターは、「厚生労働省」のゆるキャラ案として登場した「サラリーパンダ」である。企業がブラック企業か否かを判断するという「サラパン」は、自らが上司に「お前なんて名刺ビート板でいいよ」って言われているからか、(着ぐるみのせいで声が通らないからか)妙に叫び声でしゃべり続け、情緒が安定しない(かつらがとれたときはつけたいと発狂していた)。ゆるキャラなのに、ゆるくない「ブラック企業」問題に切り込んだしばゆー。そこには、サラパンの明るさとは真逆のシリアスな問題が見え隠れする。「すっげえ問題になってるから!!!!!!」。このキャラはすべてが社会派的で、ついている中の人用のファンがばれたときも「クールビズ!」という社会派のギャグで返してくる。

 

 一見ただ面白い勢いのキャラに見えても、そこには社会問題への問題意識があるのでは…と思ってしまう。その不思議なバランスの「攻めている」感じに笑ってしまうのだ。同じような印象を持つのは、「【コント】学生必見!キャラ濃すぎな次世代のスター先生3連発!!!」のなかのキャラクター「3年C組 処方先生」だ。

 

しばゆーは、本人自体がしば薬局と書かれた薬屋になぜかなっていて、虫眼鏡扮するいじめに悩む女生徒の悩みを解決しようとする。ほかの先生に相談してもダメだったことをつげると、処方先生は、「錠剤タイプがだめだったら顆粒タイプを試す。それがだめだったら注射でも打つ」「薬なんて治すものじゃないんだ。自分が治るためのきっかけにすぎないんだよ」という。薬に例えてるからめちゃくちゃにみえるが、メッセージ性があるようにも見え、なんか深いことを言っているような気がしてくる。

 

 

 そのうえ、乱入してきたいじめ生徒に口が臭いと指摘されると、「良薬は口に苦し、良薬口臭し」というウィットに富んだ返しをする。しかも、昔は悪の薬局(?)だったらしく、「ヴァイアグラやマジックマッシュルームばかり売っていた」というかなり攻めたボケ(ブラックジョーク)をかます。いじめ・薬・学校…金八先生第7シリーズのようなテーマで作られているコントは、なにかの啓もう(?)にも見えてくる。でも見ていたら「面白いだけだ」。「攻めいているのに」、思想性があるワードがあるのに「無思想」。これが、無思想の思想性の笑いであり、笑いの限界(あるいは限界突破)となるのだ。

 

 

 また、前編でも取り扱ったしばゆーソクラテスも、その首尾一貫しなかったり、平気で「わからない」といってしまったりするのは、哲学の基礎「この世の真理」を見つけるうえで、「無知の知」(知らないということを知ることが「知」への第一段階)の体現に見えなくもないし、質問をしていくところは、ソクラテス本人でいうところの問答法(産婆術)にも見えなくはない。勉強ができる彼ならではの、「テキトー」のなかに現れる思想性は、たとえそれが無思想でもなんだか「深み」を感じさせてくる。この深みが、癖になる。*5

 

 

 いじょうのようなブラックジョーク的な「深さ」は、しばゆーのなかでは反射的になされるもののようだ。例えば、「【ムシえもんもいるよ】仲間の心を読め!相談なしで4人の衣装を揃えるゲーム!」では、その反射的「深さ」を感じられる。

 

 

 国民的アニメ「ドラえもん」の主要キャラ、のび太ジャイアンスネ夫・しずかの衣装を、てつや・しばゆー・としみつ・プロラグビー選手(東海オンエアの友人、助っ人的な役割で登場する準レギュラー的存在)が息を合わせて、別々の衣装を着られるかというゲームを行うという企画である。ここでも、しばゆーのブラックジョークが反射的にみられる。まずは、しばゆーがスネ夫で、プロラグビー選手と被ったときに起きた。なぜか、左手が震えているしばゆースネ夫。てつやしずかに「アル中じゃないの」とツッコミを食らう。おいおい、ドラえもんのレギュラーは小学生だぞ、と思いつつ不謹慎にも笑ってしまう。健全さの中にダークなジョークがしばゆーの体の痙攣によって導入された。反射的、「無思想性の思想」。

 

 さらに、しばゆーがしずかちゃんに扮した際にも訪れる。しずかちゃんの衣装(?)がとしみつと被った時、しばゆーしずかはてつやのび太らに向かって突然露出狂のように、体を見せに行くのだ。「しずかA、突然の露出」。アニメであんなに純で恥ずかしがりやでしっかりもののイメージのあるしずかちゃんに「露出」というブラックジョーク。このアンマッチで不謹慎な感じとそれが反射的にできる勢いに、「おもしろノックアウト」されてしまう。やりたくてやったのか、しずかちゃんに扮している状況だからこうしたのか、天然か計算か。この狭間の「わからなさ」は爆発的に面白い。「無思想性の思想」は笑いの起爆剤だ。

 

 

 

 

東海オンエアの「主砲」の見ている世界~存在自体哲学者のしばゆー

 結びつかないであろうものに、ある時はリズムで、あるときは考えの有無をも曖昧に「-」=紐帯をつけていくことが、彼の“爆発的”なおもしろさにつながっている。それが、この前後半論のまとめになるだろう。しかし、そのまとめなど通用しないほど概念を常に打ち破り、視聴者に「驚愕」と「笑い」を提供してくれるのが彼だ。

 

 「AでもありBでもあり、CでもありDでもあり…」という「ズレ」と定義不可能性は、彼自体がもはや「哲学」なのではと思わせてくる。おもえば、しばゆーは、柴田裕輔であり、しばゆーであり、うーくん*6であり、マッドロイ機長だ。言い換えれば、大物ユーチューバーであり、夫であり、父であり、シュールな世界の住人でもあるのだ。

 

彼の世界はひとつながら、なぞの紐帯によって多層的になっているのではないか。それをYouTubeという媒体において「表現」という形で見せてくる。その表現の形が、「おもしろさ」に収斂されていく。東海オンエアの中でも、「主砲」と呼ばれるほど笑いに爆発力のあるしばゆー。その主砲たるゆえんを本稿は少しでも探れただろうか。語彙力は追いついただろうか。著者から言えることは、しばゆーはおもしろい、そして、同じくらい難しい。

 

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 東海オンエア個人論第二弾は、しばゆーさんでしたが、いかがでしたか…?

 書いている私自身、何度おもしろノックアウトされたかわからない状態で書きました。表情筋が痛いです。

 第二弾が終わったということは…。もしかしたらがあるかもしれません。そうなると次はだれになるんでしょうか。お楽しみに!ばいばい!

 

 

 

 

*1:

*2:https://www.youtube.com/watch?v=zeF-q1mbpFk

*3:

*4:

*5:その関連でいうなら、個チャンである「ニンマリシティへようこそ」のマッドロイ機長のあまりのシュールさも似たようなものを感じる。なにせ、セットの世界観の「癖が強い」。そのうえ、最初の挨拶が20秒ごとくらいで前中後編の三部作になっているし。

*6:「しばなんちゃんねる」参照