猫にもなれば虎にもなる。

院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

【祝・100万人】テキトーなガッチマン、振り回される俺達-「パラレル」なガッチマンという男

 はい。そうです。このタイトルは牛沢さんの『13日の金曜日』実況の神タイトルのオマージュでございます。「キレるガッチマン、逃げる俺達」は何度聞いても語呂がいいですね。この時点で即高評価でございました。

 ということで、ホラーゲーム実況界のドンであり、トップ4のひとり、ガッチマンさんの論を相変わらずの拙稿ながら書いていきたいと思います。もともとはニコニコ動画で活躍されていた方ですが、現在は活躍の場がYouTubeとなっており、100万人登録を今年(2019年)に達成されました。高いプレイスキルから繰り出される、ホラーゲームのサクサク実況が代名詞といっていいでしょう。そのため、YouTubeのアカウント名は「あまり驚かないガッチマンはホラーゲームばかりやっている」という大変シュールなものになっています。

 

 そのガッチマンさんの魅力について、いつも通り自分なりに分析したいのですが、魅力の根幹となるキーワードは「パラレル」だと思います。前置きが長くなり大変失礼しました。できれば最後までお読みくださいませ…。

 

 

【【※にわか注意、ネタバレ注意です※】】

 

 

「パラレル」とホラー

 

 ゲーム実況では、実況者とみているリスナーが同じ視点を共有しているということが肝要だ。実況のほとんどが、自分の姿の実写がなく、プレイ画面に声がのっているというスタイルのため、見ている場面はほとんどの場合実況者/リスナーと同じなのだ。だからこそ、ゲーム実況には親近感が必要であるのだろう。その場合、見ている側と実況者側の感覚が「似ている」ことは大事になってくるように思う。見ている側の感想を瞬時に「言語化」するというのが、「実況」という名のライブ性のある能力ではないか。

 

 

 その表現方法は、実況者によってだいぶ個性がでる。例えば、トップ4で比較してみよう。キヨは、「拡大」。キヨといえば、リアクション系と呼ばれるが、実況のテンションは高い。つまり、見ている人の感想を「拡大」して叫びで伝えたりする。レトルトであれば、「素直」。見ている側の感想の程度を程よく平均化したテンションに変換してくれる。つまり、しばしばすんなり受け入れられるようなものとするということだ。また、牛沢は、「転換」。つまり、ツッコミのことである。ゲーム内のうっかり受け入れてしまいそうな変な設定や、ゲームの主観人物がなぜか受け入れていることを、すこし距離を置いて指摘をする。視点が「転換」するのだ。

 

 

 さて、それでいえば、ガッチさんはどうなるだろう。それは、おそらくこのなかで視聴者との距離が一番遠い「パラレル」な実況といえるだろう。ホラーゲームの真っ只中、幽霊が出てきても「冷静」かつ楽しんで実況をする反応は、およそ、見ている側とおなじ位相にいるとは思えない。ちょっと並行した次元から実況しているようである。ホラーゲームもアクションゲームの一種としてとらえているようだ。ホラーだけではなく、協力実況でもたびたび天然を発揮するのも、この「パラレル」な特徴に似ている。キヨのチャンネルに投稿された動画「【4人実況】絶対に笑ってしまうハチャメチャなゲーム『 HAVOCADO 』」においては、冒頭のゲーム紹介でキヨがしかけた(アプデでタイトル画面に音楽が付いているという)嘘(ボケ)を本当のことだとおもいこみ「え?まじで!?」とマジレス。すぐさまレトルトに「されてねぇよ」と突っ込まれる下りがあった。ここでキヨのボケを信じてしまうのは大抵ガッチさんである。そうすると、一見、見ている側からすれば、「共感できないのでは」と思うかもしれないが、共感とは少し違った形で見ている側を動画に引き付けていると思われる。それは、「感情の冷静化」による「見やすさ」にかかわる。

 

 

【キヨにだまされちゃうガッチさん↓↓】

 


【4人実況】絶対に笑ってしまうハチャメチャなゲーム『 HAVOCADO 』

 

 ホラーにはあまり連続ドラマが存在しない。それは、「怖い」という負の感情が継続するのが割と負担となるからだろう。日常への「スリル」ならば時間や空間がかなり限定的な映画やお化け屋敷の方が適役である。ホラーゲームを「する」人は、わりとホラー耐性があると思われる。なければそもそもゲームを購入しようとすら思わないだろう。一方、ホラーゲームを見たい人は自分でプレイすることに気が引けるが、「怖いもの見たさで見てみたい」という欲望を持った人も一定数存在するはずだ。だからこそ、「怖い」気持ちが増幅すれば、見るのをやめてしまうというともあるといえる。そこで親和性が高いのは、映像や音の「怖い」演出と、一見ミスマッチな「パラレル」なガッチマンの実況スタイルだ。それが、「怖さ」を和らげ、連続的に展開されるホラー演出をぎりぎり「怖いもの見たさ」の感情にとどめる。それを難易度の高いゲームでもサクサクすすめることができる彼自身のプレイスキルのよさが一役買っているのだろう。そういう意味では、画面上のホラーに対する「サスペンス」と、視聴者の個人的な「怖さ」の耐性の閾値を超えるかどうかという「サスペンス」という二重の「サスペンス」があるのだ。

  

【超個人的ガッチさんの入門ホラー実況とおもうもの↓↓】

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「パラレル」な感情の発露

 

 さて、「怖さ」にはいたって冷静で、どちらかといえば、楽しんでいるように見えるガッチマンだが、いつも冷静というわけではなく、よくわからないところに感情が発露することがある。「イライラ」だ。伝説のテーブルマナーでは、操作性がかなり難しそうでお客さんがクマの人形という煽りの多いゲームに苦戦しつつも、平常心を装って淡々とプレイしていたが、最後にはブチギレを起こす。このブチギレが、普段ホラーゲームで圧倒的に冷静なガッチマンとはかなりの温度差があり、爆笑と好評を呼んだのだろう。ほかの人なら、「普通」の反応でも、いつも「パラレル」なガッチマンなら、その「普通」が「パラレル」になる。ガッチさんには、人とちょっと違う程度に感情の「沸点」があるらしい。そして、その「パラレル」な感情の高ぶりが、実況におけるひとつのスパイスになる。ガッチさん×バカゲーは、そのあたりの要素がかなり見られやすい。

 

 

【伝説のテーブルマナー↓↓】


【実況】紳士によるテーブルマナーを見たまえ Tea Party Simulator 2015

 

 

 おなじようなことは、プレイスキルでも見られる。スチームなどの操作のむずかしいゲームには、素早く対応し、恐るべきテンポでクリアするたぐいまれなスキルがありながら、子供にもよくプレイされる任天堂の操作に苦戦したり、単純なゲームに異常な「下手さ」を発揮したりするのも彼の良さである。牛沢のチャンネルに投稿された「TIMBERMAN」というゲームの実況、「【4人実況】木を切り倒し続けるだけの地味なゲームになぜかハマる男たち」では、なぜかあまりにも苦手なためか、かなり序盤のほうで、「俺このゲームだめかもしれない!」、中盤では「もうだめだわこれぇ」と弱音をはいている。

 

 

【苦戦によって主人公感があるガッチさん↓↓】

 

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 とくにそのスキルのばらつきの意外性もリスナーがガッチさんを見逃せない要素だ。いつも、おなじように「驚かせない」ガッチマンではないのだから。「パラレル」な能力値だから見逃せない。そのうえ、このような意外性は、人間的でもあり、この点では親しみを感じざるを得ない要素ともいえよう。最後は、実況の中の人を超えた実体的な実況者であるという点をみていきたい。

 

 

 

 

テキトーなガッチマン/パパガッチマン

 

 四人実況のゆる回、一人ラジオでは、下ネタを含め、ぶっちゃけている「テキトー」なおっちゃんになっているガッチさんを目撃できる。これは、ガッチさんを語るうえで非常に重要なポイントだと思う。この「テキトー」さは、ゲームニックネームやキャラ造形にも関わり、ジェイソンシリーズでは、「入間」シリーズ(三井アウトレット入間、入間は人間ではない、入間ボルダリング…)から最終的には、「入」だけになっていく見事な変遷を見せ、ヒューマンフォールフラットシリーズでは、四人の中で唯一デザインが変遷している。このような変化力が、ガッチマンという人間を「キャラクター」ではなく「実体」的にしている。単一で単純ではない人間の複雑性を内包しているからだ。

 

 テキトーで、下ネタ好きのガッチマンをより単一にしないのは、彼が二児の父でトップ4のなかでも最年長である「パパガッチマン」の側面が強い。娘である「あかねさま」との実況は、娘の視点に合わせ仲良くプレイするする、ゲーム好きのノリのいい「パパ」であるガッチマンが見られる。トップ4でもホラー系では、先導者として頼れる「パパ」的なガッチマンがいる。あの「テキトー」なガッチさんとはちがう。このことにより、実況の中でも、あるときは異様に冷静でかっこよく、あるときはテキトーのうえ天然で、あるときは頼れて安定感がある多面的で人間らしいところがあますところなく表現される。

 

 

【あかねさまとパパの実況↓↓】

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【トップ4の父となるガッチさん↓↓】

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 だから、ガッチさんは、「実況の中の人」=声を超えて、「実体」=複雑性≒人間に近似値をとる。ガッチマンは本人と実況者のパラレルな位置にいる存在なのだろう。換言すれば、実況者の中でもかなりその「者」の部分が出ているひとなのかもしれないということだ。それもそうか。まだ、ほとんどの実況者が顔を出していないときから、メディアに顔をだしていることのある人だから。愛すべき実況「者」のガッチさんは、「パラレル」な実況者で、実況者とおそらく彼本人の「パラレル」な存在だ。だれもガッチさんにはなれないのだ…。

 

 

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 最後の方は、表現に苦労しましたが、できるだけみなさまに伝わればと頑張って粘ってみました。魅力をちゃんと分析できているか不安ですが、とにもかくにも書ききれて安心しています!

 さて、これでゲーム実況、日本トップ4分析シリーズが完結しました。いつかまた、実況者魅力分析文を書きたいので、リクエストがあれば教えていただきたいです!