猫にもなれば虎にもなる。

院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

「悪」について考えること

 【※注意※】本日の論はほんのすこしばかりセンシティブな部分を含みます。

 

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  いろんな論を書いてきたが、では院で何を研究していたかといえば、「映画と悪」というテーマだった。

 

  かつて、映画監督がホラーは怖いものが嫌いな人ほどつくることができるといったように、私がこの研究をしはじめたのも「悪」が嫌いであるからという理由がしっくりくる。なぜ、実社会で憎悪されるべき「悪」が文化(とくに映像文化)のなかで大きな役割を果たし、多様に描かれてきたのか。ときにはダーティーヒーローという形で、魅惑的に描かれるのか。そもそも「悪」ってなんなのか。それが、研究の中核をなす疑問であった。

 

    研究をはじめておもったのはとくに哲学や思想の分野などが意外にも「悪」について、正面から向き合うことをそんなにしてこなかったということである。多くが善に対し副次的な問題として扱ってきた側面が強い。

 

  今回は、いままで悪について考えてきたことを箇条書き方式で書いておきたい。もちろん、試行錯誤の段階のものではあるが。

 

  今書こうとおもったのは、最近よく悪について考えられることが多く、そのような報道もいろいろと出ている。個人的な感情や意見はそれぞれあるだろうし、それはどれも間違っているとはいえないものだろう。しかしこと悪については、もう少し冷静に客観的に見なければならないとおもう。なぜなら、感情的になればなにか変えることができるだろうか。その場におらず、当事者でないわれわれはどれだけの想像力がもてるだろうか。その苦しみや痛みなどをどれだけ感じられるだろうか。想像力は追い付けない。人の想像力は自分で思うより小さなものだ。だから、冷静に考えることこそできることではないか、とおもえてならないのである。

 

  • 悪はいつも潜在的なものである。そして、強度的でもある。
  • 悪は現象で突如その姿が可視化される。
  • 悪は構造や安定を換骨奪胎する。そのため、構造や安定に深く浸潤している。
  • 悪は悪魔や怪物から産み出されるものではない。つねにその強度が強くなったとき、悪は怪物化する。
  • 悪は増殖をのぞむ。そのため、ときに他人の主観につけこんで魅惑的に作用したりする。

 

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  これからも悪について研究をしていきたいですが、本当に難しい概念です。なにか意見や持つべき視点を提供していただければ、ありがたいとおもいます。