猫にもなれば虎にもなる。

院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

カジサックはユーチューバーを思考する

 

 そういえば、「ユーチューバー」ってなんでしょうか。子供のあこがれは、テレビのタレントさんよりも「ユーチューバー」だといいます。おもしろいし、キラキラしているから無理はないというのは個人的な感想です。ただ、「ユーチューバー」という概念が何を指しているか、カジサックが登場するまでは考えたこともありませんでした。

 

 カジサックは、ブログ主が小学生のころみんながみていた『はねるのトびら』の人気者、あの「キングコング」の梶原さんです。あっ、みんな知っているか。あのころはお笑いブームということもあって、クラスのみんながみていたのを覚えています。レギュラー陣はみんなスターでしたが、そのなかでも「キングコング」の二人の人気はものすごかったです(語彙力…)。おそらく、同世代にはなんとなくわかってもらえると思います。そのため、最初は、テレビのスターがまたYouTubeやるんだなと思っていました。しかし、毎日投稿をみていくうち、ああ、「カジサックさんはYouTubeを思考しているんだな」と思うに至ったのです。それは、ほかのユーチューバーにはないユーチューバーとはなにかという存在論に関する思考が、可能性への思考が確実にあると思います。さて、そのことについて今回は書いていきたいと思います!「おなしゃす!」

 

 

全世代型への挑戦

多型的への挑戦

 一口に「ユーチューバー」といえど、多分野があることはよくしられたことだろう。実写系といわれるなかだけでもビューティー系、グループ系、物申す系など多岐にわたっている。当のカジサックは、何系になるのかといわれれば、それは定義しがたい。YouTubeにもともと存在した分野を拡張しつつYouTube自体の可能性を広げているようにみえる。

  • ファミリーチャンネル(+ヨメサック、コサックなど)
  • グループ系(+トンボさん、ヤスタケさん、土橋君など)
  • 音楽系(kajisac house)
  • 料理系(+サックし)
  • ビューティー系(+ヨメサックなど)
  • 対談系

 

 メンバーやコラボ相手により、YouTube上にある分野を踏襲していく。このレギュラー陣のスイッチング、多様性はほかのユーチューバーでもなかなかなく、今日はどれがくるんだという楽しみにうながっている。各分野の有名ユーチューバーには以下の通り。

 

  • ファミリー系:しばなんチャンネル
  • グループ系:東海オンエア
  • 音楽系:Play.Goose
  • 料理系:きまぐれクック
  • ビューティー系:関根理沙

 

多くの場合、見ている側がやってみれそうな、手の届きそうな企画が多い。多くのユーチューバーがそうしているようにコメント欄の声も反映させながら、である。そのために、画面の外で見ている側がただみているというだけの「視聴者」ではなく「リスナー」としてより能動的になれるというのはYouTubeの従来の形だ。しかし、それだけではとどまらないのがこのチャンネル、カギは対談系にあるだろう。

 

YouTubeという媒体と「お笑い芸人」

 YouTubeと「笑い」について、「親近感」が重要だと書いたことがある。

 

caaatteey-0815.hatenablog.com

 

  しかしながら、親近感は「素人」というわけではない。ユーチューバーは分野はそれぞれあれど、「自らの視点」で多くのリスナーを楽しませる「プロ」だ。そこで大切になるのは、「自らの視点」をつくりあげるそのひとの「背景」だ。「~出身」や「学生」などの所属、なにが得意なのかという「趣向」、なにをしていたかという「経歴」といったものが重要となる。カジサックは、YouTubeがどのような媒体かを理解したうえで、「お笑い芸人」を「背景」としたユーチューバーとして活動した。そのため、「芸能人」がYouTubeをしているという形とは、一線を画すことが可能になったのだろう。対談系はカギとなる分野だ。ゲストに芸人さんがでるというのは新しく、多くはふたりで話すことははじめてにしても、共演したりなど面識はあり、そのことやカジサック自体が背景として「お笑い芸人」である(それもМー1のファイナリストだ!)ことも支持して、舞台裏などの「素」を垣間見ることができた。ゲストも「お笑い芸人」をひとつの「背景」にすることに成功したのだ。


極楽とんぼ山本さんに地上波では絶対話せない話をしてもらいました

 

 また、いわゆる「ゲスト」以外の家族や仲間に協力を得ることで、「お笑い芸人」としての背景だけではなく、等身大の「パパ」や「友人」の側面もみせ、YouTubeはあらためてそのひとによって、多様な可能性があるのだということを証明した。「視点」の多様さは、声のひとをつとめるヤスタケさん、トンボさんやヨメサックなど、それぞれの感性が取り入れられているからなのだろう。その感性の多数性が対象年齢を拡大させた。この色を統一しすぎないバランスのよい視点の多様さは、YouTubeの可能性の思考のひとつだったように思う。

 

 

カジサックはYouTubeを思考する

  カジサックはユーチューバーを「自由」だと表現した(Twitterより)。たしかに、さまざまな背景をもつ人たちがその「視点」を「共有」するのがYouTubeという場だ。「好きなもので生きていく」というのが、ユーチューバーを象徴する言葉としてよくみられるが、「好きなものを共有し、見ているものを楽しませる」というのが実態なのではないか。

 本来は対立や矛盾をしないにもかかわらず、日本では相いれなかった「お笑い芸人」と「ユーチューバー」。そこに挑戦することは、理解されなかったり軋轢があったりとするだろうが、その衝突こそ、ユーチューバーへの思考の過程なのだろう。子供の夢にもなっているユーチューバーがさらに確立されていくという過程がこのチャンネルにはある。

 

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