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レトルトさんとかいう芸術者肌の実況者【後半】

  この記事は後半です!

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レトルトさんとかいう芸術者家肌のゲーム実況者【前半】 - 文系大学院生とまるの分析の森

 

 

芸術者肌⇔ポンコツ

  レトルトさんは、前半でみたように実況者のなかでも異質ともいえるほど、「繊細さ」を持っていた。それは、芸術者肌といっていいほどのものだ。しかしながら、レトさんは同時にポンコツなのだ。たとえば、みずから黒歴史としている歌。代表曲は、レミオロメンの『粉雪』で、リスナーからは雪崩と呼ばれている。大声でうたうのだが、サビになるとおおはずしする。ごぉなぁぁぁゆぎぃ↑ねぇ!

 最近、「全く身にならない日々」という歌の影響でWikipediaに「歌手」と書かれたというのが驚きのへたくそさ=音痴=鼻声なので、まだ聞いたことのないひとは聞いてみてほしい。おそらく、苦手な歌を一生懸命歌うレトさんの献身が伝わるだろう。

 

 

  あるいは、アクション系など一部のゲームでも「どんくさい」=「ポンコツ。レトさんはもともと、有野課長と比較されたりすることも多いが、気が長いプレーをする。それはゲーム愛でもあるのだろうが、キヨのスピード感とはまったく異質のもたつきがある。

  キヨ、牛沢、フジとともに、彼が『リオオリンピック』をプレーをした動画のシリーズがある。レトさんは、この作品となかなか波長が合わずに、ほとんどの競技で下位になり、見事な「レトルトボコボコシリーズ」のひとつとなっている。また、このシリーズについては、ルイージに執着してスターに持ち上げようとするキヨと卓球からぶりゴリラとかした牛沢をみることができるのでおすすめだ。

 

  以上のように繊細でしっかりしているイメージとはうらはらに意外にポンコツなレトルトさん。この「ギャップ」が「かわいさ」につながっている。矛盾ではなく「ギャップ」である。かわいいといわれるのは、どこかに放っておけないところがあり、女性に母性をいだかせるという構造からなるのだろう。

 

 

母性的視点を導く「ギャップ」

  たとえば、学生を描いたドラマでも優等生よりも、不良やできない子ほど感情移入されて描かれることがおおいのではないか。たとえば、金八シリーズでも金八が一番関わるのは問題がある生徒だ(歴代ジャニーズ枠がこれにあたる)。

  これは、できないことができるようになるというわかりやすい物語が感情移入されやすいからだ。ここには、誰もが自分を重ねてしまうような成長がある。

 

  しかも、レトさんの場合。ちゃんとしてるのである。でも、放っておけないような「ポンコツ」でもあるということだ。この場合、不良とか優等生とかそういうことを抜きにして子供の成長をみているような「母親的視点」がよびおこせるのではないだろうか。ポンコツと繊細さが非常に絶妙なバランスで同居している。だからこそ、芸術家肌でも嫌な感じがしないし、逆にポンコツだからとイライラすることもない。これはレトさんの動画の見やすさにも関係するだろう。

 

 それを実証するような回があった。それは、「ゲーム実況で本当に起きた奇跡の映像」というWii Party Uの「ハラハラ一輪車レース」をトップ4で実況した動画で4人の中でゴールにたどり着いたのは、最後なのだ。ここで最後のひとりになれるのが、レトさんだし、このあと4人そろってゴールするという奇跡をよびこめるのもレトさんなのだ。動画の中でも地道に成長していく。

  

 

 唯一無二の「繊細さ」×共感を呼ぶ「ポンコツ」=かわいい

  よって、前半/後半で導き出された定式は以上の通りだ。おなじように「かわいい」といわれる実況者のヒラやアバンティーズのツリメも似たような方式を持っているだろうが、優しさがにじみ出てしまう二人とは少し違うのはかわいいの土台に「やさしさ」や「天然さ」とは少し違った「繊細さ」ががっつりと存在していることだ。絵やプレイスタイルだけではない。推理ゲームなどで見せる疑り深さも「繊細さ」の一つだ。

 

  レトさんは、「かわいい」。それは、YouTube界でも特異なものだと思う。その「かわいい」のなかにある異質さが、彼の活動の10年ほどのキャリアのもとにもなっているだろう。それにしても、計算でしているのだろうか。いや、計算ではできないほど絶妙な割合だ。