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院生による本格分析(をめざす)ブログ。ねこちゃんにも寅くんにもなれるような柔軟な姿勢。

「キヨ」って誰??ーキヨVTuber説(最終回)

 ※この文章は、このブログの小さな連載の最終回です。もし、良ければ初回から見ていただければ!と思います。

 

 

👇️👇️目次はこちら👇️👇️

ゲーム好きの「中学生」とドラキュラ(パート1)
巻き込まれとタブーのなさ(パート2)
うそつき/純粋ファン(パート3)
人気を追走しない、独自の編集(パート4)
「キヨ」って誰??ーーキヨ、VTuber説(最終回)

 

  結局、キヨって誰なのだろう。これまでのパートを振り替えれば、いくつもの矛盾が存在していた。

  • 近所の中学生/アイドル
  • 巻き込まれのシリアス/タブーのなさのコミカル
  • マイペース/実況における速さ

 

  さらに、彼自体は「愛すべきマンネリ」でありながら、最先端のYouTubeで活躍している。この矛盾はなにをつくりだすのだろうか。

 

  この数々の矛盾はその間に心地のよい「謎」をつくりだす。そして、その「謎」は彼の存在自体をあたかも画面上にしか存在しない、粒子のようにバーチャルにしていく。言い換えれば、物質的な本人=現実存在のキヨが希薄になるのだ。

 

  たとえば、彼がPokemon GOをネタにしたときの実写動画をみてみよう。最俺メンバーにボールをぶつけ、スマホで写真をとりゲットするという超アナログPokemon GOが行われているときだった。勝手にポケモンにされたこーすけが画面外のキヨが無表情だと指摘した。その画面外の無表情は、観客には見えない。この状況のように視聴者には物質的な本人がなかなかみえてこない。

 

  あるいは、ゲーム実況が、もともとそういうエンタメである。ニコニコのとき、あるいは今でも、ゲーム実況時は、当の実況者を声やゲームキャラクターの動き(行動原理)のみの「情報」にするからだ。初期ではイベントなどでマスクやサングラスをする実況者が多かった。いまでも、レトルトやフジ、ヒラなどは、マスク実況者だ。

 

  

  結局、キヨは非常にバーチャルな存在だ。それは彼が声だけの「情報」を飛び出しても、バーチャルさは変化していない。キヨというバーチャルに、物質的なキヨが中の人として存在しているのではないか。

 

  この構造は、VTuberに似ている。全面にでているキャラも中の人も「いる」/「いない」の間にいる。キヨはその意味で、VTuberなのではないか。キヨは誰なのかはわからない。だからこそ、ネットのなかでいきいきと魅力的に、彼の好きなルイージのように縦断でにているのではないだろうか。【とりあえず完】